同時代では沢田聖子とか
1月12日、谷山浩子『静かでいいな~谷山浩子15の世界へ』(キングレコード)を聴く。谷山浩子の音楽をじっくり聴くのは初めて。半分寝ながら聴いたのは数知れず。それは谷山浩子の音楽が退屈だからではない。80年代初めに谷山浩子はオールナイトニッポンの二部を担当していて一部を目当てに聴いても当時中学生のスタミナでは二部前後で寝落ちして谷山浩子のエンディングで目覚めるのがパターンだったのだ。今改めて向き合う谷山浩子の世界は思ったより暗くない。オープニングの『銀河系はやっぱりまわってる』の中の「疲れた人がうっかりボタンを押してしまったら 地球ひとつが消えてなくなっても」というくだりは終末論めいているがこの時代にはありがちなイメージか。今でいうディストピア幻想みたいなものだが寺山修司の「核戦争はフィクションだ」という提言はそこに執着することは馬鹿げているという意味だろう。ダイインなんぞは流行らなくなったように脅威は変わらずとも怯えかたは変わる。続く『天使のつぶやき』では「どんなに強く 愛していても いつかはきっと さめてしまうわ むなしいものなの」とわりとウェットな面も。体躯が貧弱でぎらぎらした性的魅力とは真逆の女子ならではのセックスアピールだ。谷山浩子はその先駆けだったのでは。同時代では沢田聖子とか。後のZARDや裕木奈江にも通じるような。只、ぎらぎらと活性化した女子にはアレルギーだという男子もいる。貧弱な腐女子好きにはたまらない新鮮なディーバがそろそろ現れるかも知れない。表題作の『静かでいいな』では「静かでいいな だれもいなくていいな 世界に僕ひとり」と孤独の創造性を讃える。受験生のアイドルと呼ばれた谷山浩子らしいメッセージだ。こうした谷山浩子の専売特許を今現在もかろうじて延命させているのは阿佐ヶ谷姉妹か。古物屋で見つけた自分以外の誰も買わないアンティーク家具のような引力があると思う。最終曲の『今、どうしたら』では「ガラスケースの中から 世界をのぞいても いくら可愛そうと思っても それで何ができるの」と再びディストピア幻想に引き戻される。個人の感想だがイースタンユースの音楽にふれる度に深夜の空気というのか世間が眠る時間に働く人間が発信した言葉だと感じてしまう。谷山浩子の音楽性もそれと同列のものかと。午前三時からが本番ならば前日は午後七時には就寝しなければ体調は整わないだろう。もう子供じゃないのにそんな早寝をして放送に全力を注いだ谷山浩子を今更ながらねぎらいたい。