マナ板の上の阿部ちゃんである

 ネット文とはマジックミラーに向けた一人マナ板ショーのようであるなと近頃の私は思うのである。確かに遊びっちゃ遊びでいくら無い知恵しぼってエンタメっても結局一円にもならぬホームレス芸かとは思う。が、万に一つでも例えば私の書いたロリポップ・ソニック回想文に元メンバー自ら反響が、といった愉快な出来事も起こりうるわけでさ、なあ気長にやろうや友達じゃんといった内容のケツ叩きを先日エイチから受けた私だ。もう編集気取りでネタは強制しないから自由に書いてよマック、そうだまた近い内温泉でもなどと気前の良いふりだけ上手いエイチである。この接待というものも元来人みしりのレジャーみしりな私には正直おっくうなのだが、本職の文筆業者で私と同じ体質の諸氏らは一体どう対応しているのか。コラムニストへの道は案外エイチに原稿を預けだして逆に遠のきはじめた気がする私なのだが。
 気を取り直して映画評である。
 オメガ・ピクチャーズの「血を吸う宇宙」監督佐々木浩久、脚本高橋洋テアトル新宿で観てきたばかりなのである。ストーリーは自分には居るはずのない一人娘を誘拐された私が助けねばと狂言し、夫や警察を巻き込んで奔走する新妻とそれに肩入れする女霊媒師、宇宙刑事とその秘書、エロ代議士とウグイス嬢、カンフーマスターと内閣総理大臣、通りすがりの労務者(諏訪太朗)などがからんで繰り広げられる一大阿呆バトルといった内容である。美術センスが秀逸で、70年代の駄菓子カルチャー(指につけてこすると煙の出る油紙や水にひたすと消滅するスパイ手帳など)や雑誌広告の通販アイデア商品(動物のオスメスを当てる大仏の首型キーホルダーや、掌の中でコロコロもてあそぶだけで知力の養われる奇跡のクルミ、ミラクルミなど)にただよう妙にいかがわしくチープだがクセになる魅力満載の今作なのだ。 そしてこういう狂った映画に良くぞ出演したかと思えば何もそこまでと目をそむけたくなる程のトゥーマッチな狂気の美丈夫を演じているのが阿部寛なのだ。つかこうへい劇団に参加した辺りから案外マッドな持ち味も有る役者なのだなと感じていたが今作での阿部ちゃんの狂気はもう止まらないご乱心ぶりである。ノンストップである。 ここ数年にわたるこわれた阿部ちゃんの背後には誰かの仕掛け人が居たのかも知れないが今作の阿部ちゃんは主体的に狂っていてある意味清々しいのだ。できれば同じ顔ぶれで狂った阿部ちゃん路線の終着駅とも呼べる次作を期待する。21世紀の何とやらは彼の美丈夫だったのだ。