ロリポップ・ソニックは××である

 「前回は上出来です。次回もよろしく」というのが当ホームページの家主(の夫)であるエイチから間借り人の私に届いた礼状のさわりなのだが、よく内容を読み返すと次回のリクエストはロリポップ・ソニックでお願いしますわなどとしっかりお題目まで提出するやり手振りだった。古本屋のオヤジの膝元でコラム修業というのも今の私には分相応な遍歴時代のひとコマであろうと気軽に引き受けた事が悔やまれるのだった。 ロリポップ・ソニックとはあのフリッパーズ・ギターの前身バンドで、今から十余年前に渋谷のクロコダイルに彼等のライブを一度観ておけと強引に私を連れ出したのはエイチである。その後のフリッパーズコーネリアス小沢健二の成功をそれ見たことかと私事の様に喜んだのもエイチである。しかし私は本来ソフトロックはチェリッシュくらいしかわからないんである。フリッパーズもチェリッシュもデビューからブレイクまでは似たような揉まれ方をして日本レコード(大賞)界に認知された感があるので、その点において応援したくなるような気が当時はしていた。 で、エイチが何故今頃私に彼等の事を書けと勧めるのかだが、多分クイックジャパンの編集にでもなった気でそう思い着いたのだろう。QJが取り上げそうなロリポ検証文を私がいとも簡単に書けば当時○○○○社を数ヶ月で退社した心の傷も癒せるというのかエイチよ。QJ太田出版だろう。私に90年代の国内サブカルチャーのおさらいなぞ無理に決まってるのである。が、今誰がそれをやれば大衆が震えるというのか。その連中はいったい何才なのか。私には不気味なんである。まだ氷川きよしの今後の展開の方が興味引かれるんである。 それでもちょっぴり我慢してロリポップを振り返ると、あの日クロコダイルのステージに立っていたロリポのフロントマンは小山田圭吾である。だがあの小山田圭吾とのちのフリッパーズの小山田は別人物なのである。まるで80年代のワールドプロレスリングに登場する突如来日決定した大物マスクマンの様に、空港で記者のマイクをはねのけた時とリングに上がった時では体格も眼の色も違うかのような。私は今非常にデリケートな事柄に触れかけているのだろうが、気が向いたらまたこのネタは掘り下げたい。ライブハウス時代の小山田とレコ大時代の小山田と名乗る男というか男の子は別人である。ロリポの小山田は大学生にしても老けていたのに、レコ大の小山田は中学生でも通りそうだった事実が事実で無くなりかけているのが今なんである。私はその事が昨今のサフカル誌のどんな懐古ネタより不気味である。