花粉とやらの親の顔が見たいんである

 さて花粉の季節である。花粉症ってさ、それまで何ともなかった奴でも急に敏感になったりするんだってねえというのが、この季節の笑っていいともにおけるタモリの時候のあいさつとなって久しいが、私もその急に敏感になっちゃった一人である。感じるんです花粉を。まず起きてる間は常に鼻の奥がムズがゆい。ムカっときて力まかせにグシュグシュこするとツーンと痛みが走る。小学校時代に消毒用プールで押しくらまんじゅう状態になった時に感じたあの痛みである。

 全くたかがプールに裸まつり並みのエキサイトぶりだったのだから、当時の小学生はまだまだ戦後の貧困の影を背負っていたのだと思う。

 私の通う小学校では給食の際にパイナップル缶の残り汁を特製ジュースと称して希望者にアルミ製のポットから牛乳の空き瓶に注いで飲ませていた。今は恐らく廃止されているはずである。が、現在三十代半ばの我々世代から振り返って考えてみりゃ貧困そのものだったわなと力なく一人笑うしかない過去は多々あるのではないか。

 レディーボーデンアイスなどは良くそうした貧乏ネタとして引用されるが私から見てレディーボーデンの何が貧乏臭かったかと言えばあのCFソングなのである。レディイボゥデンと金メッキのバニラスプーン片手にスウィングしつつ世界の料理ショーグラハム・カーよろしく目をウルウルさせてたかが氷菓子に舌づつみ打っていたあの時代がたまらなく恥ずかしいのである。

 ああ恥ずかしかったと息をつくヒマも無いうちに我々を襲ったのが「奥さまは魔女」のサマンサがCM出演したジャフィビスケットである。ビスケの素地を生クリームやチョコレートで何層にもコーティングがしてあるのよと、サマンサ母さんがホームパーティーに集まる近所のガキ共に説明するとすかさずガキ共「ケーキみたあい(はあと)」とため息をもらすのである。ケーキみたいなビスケットが商品として売りになっていたのだから、あの頃ケーキは病気にでもならなきゃ食えなかったっけかなと首をかしげたくもなるんである。

ドリフのコントにおけるパイ投げもその辺を意識したものだったのだろうか。あんな事してみたいと確かに憧れに近い感情を持ったのは子供心に覚えている。が、大人になった今、ケーキみたいなビスケットにもパイ投げにも食指は動かず、ただそれらをうらめし顔で横目に見ていたもの貧しい少年時代をひた隠したい気持ちでいっぱいなのだ。今にこの日本もアメリカに倣って金持ちと貧乏人の差が極端にとは長々言われ続けている事だが、そうでもないぜと思わせてくれたのは私にとって花粉症である。