気まぐれ天使と呼ばれたいんである

  ここしばらくは喫茶ロックの世界にどっぷりだった私の生活空間。なんせ築三十余年の木造アパートメントの真ン前には都電荒川線が今も走り続けているんである。喫茶ロックなら我が家にあったんである。
 しかし一連の喫茶ロックシリーズが失ってしまった貧乏暮らしの中のほのかな味わいを中流以上のスノッブが小銭を払って楽しむものであるのに対して、私サイドはこれあるがままの手ぶらの生き様なのである。
 喫茶ロックを支持する現代のこざっぱりしたソフトロック少年少女と三十面下げて今だ25年前の都市生活者の暮しぶりを引きずった私とでは雲泥の差があるのだ。実際喫茶ロックの力を借りずともたそがれたければいくらでも半永久的にたそがれる事ができるのだ。それはようございましたねと他人事のようにアンモニア臭ただよう万年床にもぐりこみ「気まぐれ天使」のサントラCDを聴いている私だ。小坂忠&ウルトラが1976年に同名のTMドラマの為に制作したこの作品に花粉症も手伝って瞳ウルウルな日々なのである。
 が、あまり感傷にひたってばかりもいられないんである。私は当コラムのスタート時に、“古本屋の親父の家に間借りしながら絵本作家を目指す私はまるで石立鉄男の水もれ甲介のようであるかも”などと書いてしまった。が、「気まぐれ天使」のCDに付いたドラマの資料にはどうも私が水もれ甲介と記憶していた部分が多数見受けられるのである。
 石立鉄男の恋人役が大原麗子で、深夜放送のDJを務めているという設定は水もれ甲介ではなく気まぐれ天使だったらしいのである。変だなあとは思いつつ、でも悠木千帆(当時)はバア様役で出てたでしょ、と資料に目をこらすと悠木千帆は出ている。が、森田健作石立鉄男の親友で恋敵という時代を思わせる役柄で出ていたらしい。おやあ?と思いつつ、でも舞台は下町の古本屋の二階だったはず、水もれ甲介の住む家は絶対にィと70年代アニメに関する記憶違いにはついついムキになる腐ったOLのように資料を凝視しても何も見つからず、内心ホッとしたがジャケットには古本屋のセットが小さく写っているではないか。
 やはり私の負けか。私が水もれ甲介と記憶していたドラマは気まぐれ天使の事なのか。水もれ甲介なんてドラマはないぞとまで言われても反撃できそうもないパンチドランクな気分の今の私である。同じ時期に同じ面々で同じようなドラマを量産してたんでしょと言われればそれまでだが。水もれ甲介のみの字でも口に出そうものなら命取りな時代になっているのだろうか。特に最終回のあの終幕だけは。