二匹目のどぜうもツライんである

 上野セントラルにて「突入せよ!『あさま山荘』事件」を観た。今から30年前に起きた実在の籠城事件で、実際現場の指揮をとった元監察官の佐々淳行の原作を原田眞人が演出した社会派ドラマである。主演は役所広司で、演ずるのは籠城現場で指揮官を命ぜられた本庁のヘラクレスと呼ばれる男。その名もまんま佐々淳行の「知ってるつもり?!」みたいな設定である。

 と言うのも元々テレビの2時間サスペンスドラマとして持ち上がった企画らしいのだ。原田監督自身以前からあさま山荘事件は取り上げたい題材だったので、存分にノッて叩き台をつくっている内に言ってみればテレビじゃヤパ過ぎな内容になり映画化に踏み切ったらしい。

 で、言うまでもなく「突入せよ―――」は突入する側の人間模様を描いた作品なのである。突入される側については西部劇のインディアンの様にひたすら物言わず暗く不気味に描かれている。そして物語の大半を占めるのは警察内部のいざこざと言うかプライド合戦である。全国民が注目する事件なのだから本庁が乗り込みその場を仕切るのは当然なのだが、雪山を知らない都会の本庁陣は時折ポカもやってしまう。その度言わんこっちゃね見てらんねと主導権を握り返そうとする県警。そうした様子に全体こんな連中にこの事件を無事解決できるのかと批判的になるマスコミたち。

 そしてこうした劇場犯罪に付き物のハタ迷惑なヤジ馬も現われる。高橋和也演じるヤク中の男が、あさま山荘の玄関先に俺で良ければ人質の身代わりになっからとズカズカ建物内に入ろうとして撃たれるシーンである。中の人質の様子は全くわからないままにそんな調子で10日間がたってしまう。人質の山荘の若奥さんを不安におののきながらただ静かに見守る善良そうな山荘の主人(役・松尾スズキ)の疲労もピークなら国民全体の憤りもピークである。国民の敵とそれに肩入れする人々は登場しないのである。

 が、だからといって水戸黄門のような勧善懲悪なカッコ付け過ぎドラマかと言えばそうでもない。映画の空気はリアリズムである。三谷幸喜以降のホームドラマにありがちな日常のなかのこれってあるよね的なリアリズムである。寒空の下で若い警官達がカップヌードル一杯でケンカになるシーンなど、変なところで笑いを取りつつ2時間13分を引っ張る。

 伊武雅刀加トちゃんハゲは今作の為の役作りだろうか。可笑し過ぎるのではないだろうか。役者達全員にどうもファニーに受け取られたがっている印象を感じる。ファニーでなければ出演しずらいということか。突入する側、それを見守る側の視点で描かれた映画に出演することは、突入される側に対していささか気が引けるものだろうか。仮に突入される側に縁しがらみがあっても、役をもらえば暴走しまくるタイプの役者もいるだろう。佐野史郎はどうして出ないのかなと私なぞは思ったのだ。が、そうした役者を起用すれば今作は全く安定感を失って、どんな立場の人間にも受け入れられない不快な作品になったかも知れない。

 警察官だって一介の人間。そりゃ色々ありますわ的な観客への寄りかかりもつい許してしまうのだ。役者の苦労をしのべば。プロレスはショーだって皆さん仰いますがショーであれば痛くないのかと私は言いたいですね、というアントニオ猪木の言葉を思い出すんである。映画だから雪山も寒かない放水車だって冷たくないかったらそんな訳がないんである。で、そうしたやり方は極めて小劇場的である。舞台の方角に空気椅子状態で静物を2時間演じ続けた女優が伝説化したりするあれである。今も電波少年などに受け継がれている死に物狂いの人間だけが持つ輝きというのだろうか。死に物狂いは勝手にしてるんじゃないかとも思うのだが、偶然その場に居合わせると目が離せない大道芸のスリルである。たった今火の点いたサーベルを口の中へ飲み込んだ男がその後どうなったか気にならない人間は少ない。私なぞはなるべくそれらから目をそむけていたい方だが。そうした意味で今作はテレビ的である。プロレス中継で老人がショック死した時代をなぞって、30年前のヤジ馬親父だった今の老人をショック死させるくらいの激ヤバな叩き台を、できれば全国のお茶の間にそのままお届け、といった所が原田監督の本音かなとも感じた。

さて、「光の雨」があり、「突入せよ――」があり、まだ他に連合赤軍で映画撮りたい撮らせてあげたい居残り組もいるんである。居残っちゃったのは結果的にそうなっちゃったんで実は企画の時点では一番乗りだったはずである。その方々の描くあさま山荘事件の映画は全体いつになったら観れるのでしょうか。伊藤つかさの完全ヌードに色々な意味でめまいを覚えるように時間だけが空しく過ぎていくのである。これで少なくともわらえるあさま山荘では三匹目のどぜうになってしまうと思うのだ。川越美和の濡れ場、伊武雅刀加トちゃんハゲを追い抜く所謂タマを探しておられるのだろう。早くお探しのタマに出会えますように。おしぼりでお待ちしてます。