ある意味あの日に帰りたいんである

 新宿シネマスクエアとうきゅうにて阪本順治監督「KT」を観た。新聞もろくすっぽ読まぬのにポリティカルな映画ばかり観ている。が、邦画界は近頃めっきりポリティカルなのだ。時の流れと共に史実に基づいたフィクションと断り書きを付ければ取り上げられる言わば解禁されたポリティカルネタがうようよしてる状況なんである。あさま山荘金大中事件の次は誰が何を釣り上げるのか。やはりロッキード事件にとどめを刺すのだろう。けれどその場合清水アキラ田中角栄か何かで笑いを取りにいっても仕方ないしなあ。などと考えさせられたのは今作でKT、金大中をえんじたチェ・イルファの激似っぷりからである。

 脚を引きずる歩き方、求心力たっぷりの容姿と佇まいに演説の巧みさ申し分ないのだ。その強烈なアジテーションに心底参った筒井道隆演ずる在日二世の青年が涙目で立ち上がり拍手を送るシーンがある。私はそこで道隆同様ウルウルきちゃったんである。映画の中のなりきり金大中に対してこの人の言う通りだ、この人について行こうか何か拳を固めていたんである。韓国の人々にとってチェ・イルファの演技はどう映ったのであろうか気になるところである。

 金大中事件とは1973年8月8日午後、東京九段ホテル・グランドパレスを訪問中の金大中、勧告元大統領候補がKCIA(韓国中央情報部)と思われるグループに拉致された事件である。映画は金大中が1971年4月の大統領選挙で、野党候補としては初めて与党の政敵とマークされる五百四十万票を獲得した後訪日し事件に巻き込まれ解放されるまでを描く。KTをつけ狙う側とその協力者達、KTを支持する側とその協力者達をあくまで庶民感覚で、言ってしまえば貧乏臭く描くのである。当時私は小学生だったはずだが金大中事件については暗くマイナーな印象を抱いた記憶がある。

 来日した金大中に割とあっさり取材できた「労働者向けの軽い新聞でして」と自己紹介するのは夕刊トーキョーの記者。演じるのは原田芳雄である。夕刊トーキョーはおそらく夕刊フジ級の労働者向けの軽い新聞であろう。「朝日や読売にも連絡しましたが寄越して来たのは週刊誌の記者でしたよ」と金大中がしょげ返る通り、当時の金大中は夕刊の見出しに韓国のケネディと誉めているのか馬鹿にしているのか分からぬ扱いに甘んじていたのだ。当時小学生だった私の記憶の中でも金大中事件の報道は暗くマイナーなもの、プロ野球に例えればクラウンライターライオンズのようなものであった。プロレスに例えれば国際プロレスのようなものであった。しかし私は暗くマイナーな印象しか残っていない金大中事件に関心を持ってしまったんである。原作小説も読み始め当時の報道記事もなるべく多く目を通したくなったんである。暗くマイナーな印象しか残っていない金大中クラウンライターライオンズ国際プロレスにまたしても一人勝手な届きようもないラブコールを送りたくなったんである。ノーベル平和賞受賞者としての金大中より三流新聞に韓国のケネディと嫌味なスポットを浴びせられても胸を張っていた金大中の方が気になるんである。少年ファンなどつくわけもない柄の悪いド不良選手揃いであったクラウンライターライオンズ国際プロレスが今頃気になるんである。血と汗と泥にまみれたメジャー感ゼロの男達の魅力が中年期に入りひしひしと伝わってきたんである。あの日に帰りたいんである。願わくば身も心も中年のままで。