香典泥棒のその逆なんである

 初恋の嵐というソフトロックバンドの存在を私が知ったのは今年のミュージックマガジン4月号の国内ニュースのページが最初である。知ってる人は知っていると思うがそのページの片隅にあるのは初恋の嵐のフロントマン、西山達郎が今年3月2日に急性心不全によって25才でこの世を去ったというニュースである。5月にはメジャーデビューも決まっていた矢先にバンドは中心人物を失ったことで空中分解してしまった。が、どうやらその後ポシャってしまったメジャーの代わりに彼らの音源はどうにか市場に現われたんである。

 MULE RECORDSなるインディーズからミニアルバム「バラードコレクション」と3曲入りシングルの「untitled」が発売されたんである。私は前述のミュージックマガジンの記事を読んで彼等に関心を持ってしまったのだが死亡記事をきっかけにファンになりましたというのもどうかと二の足を踏んでいた。が、やはり彼等の音楽に触れたくなったんである。死亡記事にあるメンバーのスナップ写真の中の空気と脱力感から私はサニーディ・サービスを連想した。サニーデイは解散したものの早く再結成したいよななどと表向きは呑気なコメントを飛ばしつつも幕を引いたところである。幕の向こう側で何ぞゴソゴソやっているんである。で、そうした彼等は初恋の嵐に比べれば幸せかとも思う。ならば初恋の嵐サニーデイに比べて不幸なのかどうかも私にはわからない。文字通りの置き手紙になってしまった音源を聴いてみるとやはりサニーデイっぽいと私なぞは思った。変なところでホッとしてしまった。

 死亡記事から興味半分ににわかファンになり一人しんみりとその置き手紙のような音楽に耳をかたむける。そうした乙女チックで無知モーマイな空騒ぎの似合う歳では全くないのだ私は。初恋の嵐の連中にしたってどうせならそれまでの自分達への無知はともかくも若き乙女の涙に送られたいであろう。30男のあまり信用できない涙はこのくらいにして初恋の嵐は今後も要注意である。メンバーの急死によりメジャーデビューは中止という以外に何も知らない彼等にそれは気の毒と近づくことは却って不謹慎かとも私は思った。たまたま近くを通りかかっただけの他人様の葬儀に勝手にもぐりこむような。気をつけろよ香典泥棒かもと疑われても仕方ないかしらと。しかし私は香典泥棒ではございません。その逆でございます。いつになるのか見当もつかぬが彼らの音楽に触発された捜索を私はこれから発表したい。で、この小文でまずは握手を。