レディーコングな小屋でも可である

 古書にまつわるちょっといい話、泣ける話をこれまでずいぶんしてきた。いや、してきませんでした私は。本来ならばそうした内容の小文をさりげなく寄せるべきところである。どう考えたって街の古本屋のホームページで吉川エミリーがたまらんとかマーシーがんばってとか一体どういうつもりかと自分でも思う。しかしエイチとはもう今年いっぱい寄稿することを約束してしまったので当コラムは残り半年も続くのである。いい加減にしろよガイキチ野郎といわれてもあと半年。遊びと思ってやるから皆ついてきてくれよな、タムリン・トミタみたいなお姉ちゃんの居る奴は写真送ってくれよな。などと読者にアピールするのも読者って居るんだよこれがとエイチが送ってくれた史料のの勢いである。

 もうマジで嫌がらせと思われるから書くのはやめたいのだがやはり川越美和川越美和に関する情報を漏れなくくまなく読みあさる人々は今も実在する。当初はきっと本人か身内でしょうなどと私も軽視していたが何となく怖くなってきた。川越美和を本気で応援し続ける方々に多大なご迷惑をおかけしたかもしれないことを深くお詫びします。だからもうたずねてこないでったって勝手に訪ねてくるんですものこれが。一番よいのは私が反響なぞ気にしないで自由に書きつづけることである。

 フィルムセンターで「白い指の戯れ」を観た。私はふと亀有名画座に通いつめていた頃を思い出したのである。閉館になる2年くらい前である。小屋の内情など知るはずもない私は閉館近くのラストスパートに歓喜していた。東映ポルノもあれば女ドラゴンも周訪正行の80年代ニューウェイブ然とした初期作品まで惜しみなく観せてくれた館長に改めて感謝。あの大サービス振りは小屋そのものを一編の映画に例えた上でのクライマックスだったのだ。そうとは気付かず今年の亀有は気合いが入ってるじゃんくらいしか反応できなかった自分が恥ずかしい。しかし悔やんでも亀有名画座はもう無い。こち亀出演時のせんだみつをの白黒パネルと共に消滅してしまったのだ。

 ピンク映画館なら都内にまだぼちぼち残ってはいる。が、私が寄らせてもらえるムードではないんで困る。無論私のわがままである。現在残っているピンク映画館はあれこそが本来のコテコテの本格熟成されたピンク映画館である。ここで私がブータレるのは暴論に近い。公園は好きだけどホームレスが嫌だとか、図書館は楽しいけど働いてなさげな自由人の方々がどうもとかそういう世間知らずな身勝手な愚痴である。でも私は愚痴りたいのである。昔のロマンポルノをじゃんじゃん特集してくれる普通の名画座は無いものかと。普通というのはガロ系や映画学校系の女のコなら友達と連れ立って入れるくらいのゆるい空気のあるという意味である。そんなもの仮にたててもすぐ潰れてしまうかも知れない。バブル期に普通のOLでも気軽によめるスポーツ新聞としてレディーコングなる夕刊が発行されすぐに潰れてしまった。今、普通のOLは普通に駅で東スポを買って読む。女のコや女のコに近いグニャチンな私の為の怖くないピンク映画館は成立しないだろう。いずれは普通のOLが普通にホモ映画館で焼酎をかっくらって東スポの下で股間を撫で回したりするのだろう。私だけが何時までたっても洟垂れ小僧のままということか。了解。