和製マイケル・J・フォックスである

 飲食店などで「そっちのボクは何にするのかな」などと注文を聞かれることが30代半ばになってもある。そっちのボク、お兄ちゃん、別に子ども扱いにムクれているのではない。子ども料金にして欲しいんである。映画館やレジャー施設などで係員でもない人から「飲食禁止ですよ」などと言われる。「そういう所に足をのせないの」などとメッされることがある。ここまで行くとさすがに腹が立つ。あんたは何だ従業員でもないくせにエラそうにと文句も言いたくなる。が、言えない。そんな小さなことで見知らぬ人からメッされる覚えはないがルール違反は私のほうだからである。でもルールを強いているのはその人物ではないのである。管理人でもオーナーでも住人でもない通行人にお前部屋はもっとキレイに使え、出てってもらうよ終いにゃなどと言われているものである。で、言われっぱなし。

 理由は何故だろうか。彼らが私を子供扱いする理由である。子供に見えるからか。子供に見えても子供扱いすると怖そうな風体には人は二の足を踏む。渡嘉ちゃんとか畑山などにはこいつ子供みてえと指差したりはしない。私は平気でされてしまう。子供扱いを本人も喜びそうだと思われている可能性もある。女のコのオッパイやお尻に手の甲がぶつかって思わずゴメンと謝罪す。いえ全然などと笑われている。オッパイやお尻に触れても全然平気なくらいまだまだ坊やなの貴方はねとイタリアの陽気な娼婦のような顔をされる。娼婦に子供扱いされてムクれているのではない。子供料金にして欲しいんである。自分はアングロサクソンかと思うことがある。もちろん日本人だと思う。が、白人種のようにある年齢までは少年並に若々しく見えたが突然に猛スピードで老成するのではないかと思うのである。多分そうだ。きっかけは何だろうなと他人事のように今は想像している。やはり結婚か。何か大事業を。大病を。どれも全く実感が沸かない。私は無闇に健康で商才もなく、恋は勉強不足だからである。36才です。

 いっそのことそうしたフリーキーな身の上を大道芸にできやしないかとこの一年シコシコやってきた。やはり山彦は返らず。一人シコシコと続けている。考えてみれば関川夏央だとか山口文憲だとか私の目標とするシコシコ中年は皆ちゃんとした学歴のあるインテリ層ではないか。私はそうでは無かったんである。それでもいっぱしの知識人になりたいのであれば何をすれば良いのでしょう。国民全体の幼児期を延長させれば良い。国民=お友だちのみんな。私は歌のお兄さん。お兄さんと最後まで仲良くしてくれる人。無。