いつもの店で待っているんである

 エイチから毎月送られてくる切手代という名の原稿料が小一枚多い。ギャラははずんだからその文面白がらせてくれなきゃなくらいは企んでそう。しかしコラム修業ということであればないように関わらずギャラは倍々でふんだくり続ける器量は不可欠。だからその修業と思う事にして余りやる気は出さないことにした。いつもと同じのらりくらりの与太文になると思うが嫌なら読まないように。古本屋なんて他に何万件とあるんだよと母屋に泥を投げかけるようなことまでつい書いてみたり。いたずら好きの36才独身。かなりのひとり上手だと言われるがどうか。

 新文芸座で「愛の奴隷」を15年振りに観たところである。笹塚京王で前に観た時はまだ20代の初めであった。若くて夢があったとは自分で言うと阿呆みたいだが確かに若くて夢もあった。将来は物書きか役者にでもなろうかってと案外シレッと誰にでも言えた。自信があったのかどうか。「愛の奴隷」で印象に残っていたシーンは仕事に嫌気がさした女優を演じるヒロインが、街頭に飛び出して通行人にやつ当たりするが逆にサイン責めと花束責めにあう場面か。ひょっとしたらその場面を観た影響で自分もいつかサイン責めと花束責めにあってみたいと内心思ってしまったのかも知れない。高倉健に憧れてその道に進んでしまった人々と何ら変わりなく。映画の影響ってそんなものだと思う。だからうっかり観ちゃいけない。観るなら観まくって片っ端から忘却すべき。頭の引出しはそうそう何でも収まらないだろうから、あまり自分の人生に関係ないものは自然に忘れる。と、思うのだが「胸さわぎの放課後」でひかる一平が雨にグズ濡れて歩き帰るファーストシーンなんかいつまでも覚えてるのは何故か。隠れファンなのか私は。ひかる一平の。どこか自分をダブらせていたのか。ああいう何も考えてないタダの天気で気の良いだけのスッとした若者像。15年来の腐れ縁であるエイチに言わせると昔の私はタダのつまんない高校生みたいだったらしい。ジーンズメイトでケミカルウォッシュのGパンを舌なめずりして物色してそうな当時ゴロゴロしてた若者の一人に過ぎなかったと。あの頃に比べるとずっとキモ格好良いよ。アーティストしてきたよお前もと芸で感心してくれるのはエイチだけ。あとエイチのカミさん。愛猫のデブ猫は以前泊めてもらった晩に枕元にヤモリをくわえて来てくれた。猫に同情される三十男。何に見える。何にも見えない。まだ少し若いけど渋谷でサンドイッチマンでも。もうサンドイッチマンでした当店の。