お化けは死なないんである

 たまには生の舞台に触れてみようかな。などと書くとお前また新宿ニューアートかと苦笑される訪問客の方もいらっしゃるか。違います。私の気持ちは違うんです。同じ新宿でも新宿PIT INNにて2003浅川マキ定期公演を観たのである。

 ゲストはおなじみ渋谷毅(ピアノ、オルガン)と森田修史(テナーサックス)の二人。リズム隊無しというのはつまりリストラなどと勘ぐるのはどうかと思うが。しかしその夜の舞台の上でのおしゃべりの中で「こんな御時世でウチの中もスッカラカンよ」と朝浅川マキはまたも誰にともなくつぶやきかけるのだった。私は以前に宝島で見た浅川マキのプライベートルームの写真を思い出した。昼間で暗幕が窓という窓に吊られた、その六本木のアパートメントの光源はアンティークな木製スタンドのみ。その周りを同様の高価そうなアンティーク家具が囲んでいた。が、そうした贅沢品とは最早この御時世ではさよならしてしまったということなのだろうか。フルバンド形式で定期ライブを開くのもきびしいのだろうか。気付けばスモークマシンもその夜は登場しなかったのである。あのようなものは不況のおり手離すといっても今時何処へ持って行けば良いのだろう。スモークマシンの存在価値のある舞台とは現在では浅川マキの居る舞台しか無いのである。逆にスモークマシーンのメーカー側から寄贈されてしかるべきではないのか。テルミン博士がまだご存命でしたかくらいのおののきを持って。他の歌手ならドライアイスで充分なのだから。スモークマシンを返してあげてください。お願いします。

 さて、その夜のセットもやはりここ15年ほどずっと変わらぬ内容である。ル・ピリエ時代からほぼ変わらぬセットを毎年いつもの顔、意外な顔、知らぬ顔をタロットカードのように並べ替えて楽しませてくれるのだ。ジャズのコンサートってそういうものだと気付くまで同じ曲順、同じ構成の定期公演に私は半分キョトンとしていたのだ。そうこうする間に浅川マキを囲む男たちの中にはもう私より年下なのは間違いない浅川マキとならば親子ほどにも年の離れた若手プレーヤーが続々と起用されていく。「30年以上も歌い続けてきた中での新しい出逢いです」などと老いて尚盛んな宣言の後で「野垂れ死にが一番よ」と笑って良いのか分からないことをまたぼそりとつぶやく。とここまで書いてふと気付いたがあのスモークマシーン。あれは消防法的にアウトということなのではないか。地下で全席勝手に喫煙の上に人工煙ガンガン焚くか新宿でということではないか。関係ないね。俺はあるけど。