平成の友和もきっと大変である

 サンネンビイーグメェーイ。「金八先生」出演時の上戸彩を私はノーチェックであった。が、映画「あずみ」公開時からにわかに三十六才の小さな胸はときめき上戸フィーバーす。タレント本なんて久々にかったし、ブロマイドの封をひっちゃぶいて中味を取り出す勇気もない。気色悪かろうがどう言われようがファンでいることは私の勝手なんで。これからも上戸君を応援していきたい。私なりに。色々あるんだからイメキャス上戸彩で詩作する、脚本を書く、お部屋の模様替えをするとかな。彩がウンと言ってくれるか否かを生活の隅々までもね、念頭において。

 ところで平成の山口百恵というキャッチを雑誌等で見かける前に私は上戸彩に百恵を感じていたんである。修羅の群れの中をくぐりひた走ってきたかのようなクールなまなざしに。70年代の百恵ちゃんと今の上戸彩ではどっちがサバイヴしてるかしてきたかを論じるのは不毛であろう。けれど折角ちょっと特別なアイドル女優になりかけてる上戸にも三浦友和のような申し分のないパートナーが現われて欲しい。ゴールデンコンビ久しく見かけないし。どうでもいい作品で出会ったカップルほど上手いことやる風潮にそろそろあきたのだ。

 映画の中のお似合いの二人を見守っていたあの時代のモモエファン達。お目出度いっちゃお目出度い。ゴールデンコンビ作品は劇映画だけで十本以上もあるのだ。それに赤いシリーズなどのドラマやCFなども加えると実に膨大である。その間ずっとあの二人実際のところ上手くいってんのか、南条豊とかいう対抗馬も出てきたけど大丈夫なんだろうかなどと真剣に話合っていたのだろうか。お目出度いってゃお目出度い。そうした周囲の喧噪に誰よりも阿呆臭げにむくれ返っていたのが三浦友和であった。「いい加減にしてよ」「あんた達が悪いんだよ」とレポーター陣に歯ぎしりする姿が今も残る。阿呆臭いことは間違いなく阿呆臭いのだが自分をここまでにしてくれたのもそうした喧噪のおかげであることに友和自身も気づいていた。そういう表情だったと思うのだ。モモトモ大変だったんだなあ。などと大人になったモモトモファンがまァた復刻CDや百恵特集にはしゃいでいる。百恵さんもまたうかうか家庭ゴミも出せたもんじゃない。だから言わんこっちゃない。上戸彩は平成の山口百恵にならなくていいのかも知れない。三原順子にあまり良く思われない可能性が。もう関係ないか。金八先生みたいな存在も何やら今では不気味なんである。スタート時のセコさ加減を知ってる世代にしてみれば、ねえ。