思い出のボロボロ待ちである

 上野のバイクショップ街の外れっ端にあるその喫茶店に私はまだ入ったことがない。喫茶店というよりコーヒー屋、珈琲店と呼ぶべきだろう。そのくらいガードが固い玄人向けの店なのである。店の入口には大きな模造紙の貼り書きがある。街金の取り立てではない。これから初めて入店する客にこれだけはあたしの前で心に誓っておくんなさい、それが誓えると言うならお入んなさいという店主からのカウンターアクションである。まだ入ると決めかねているはずの通りすがりの人間にもだからもし入ると言うのならこれだけは、ねと余裕たっぷりに店主は語りかけているのである。その断り書きとはまず当店を待ち合わせに利用しないで下さいとのこと。人待ちにひょいと突き出す程度のシロモノじゃないんですよということか。値段はバカ高いという程ではない。良識内の値段を守ってそんじょそこらじゃ飲めない珈琲をウチは出しますという自信の現われだろう。そして当店では携帯電話のご使用をお断りしますとも続く。ムダ話だめと。仕事でもだめと。そしてさらに当店では長時間のご利用もお断りしますといったようなことも書いてあった。正しくは長時間ではなくて十五分か三十分それ以上居ちゃだめなのだそうだ。つまりウチの珈琲は本当に珈琲を飲むだけの目的で足を運んだお客さんにしか飲ませたくないと。黙って飲んでくれと。飲んだ?帰ってくれ。十五分以内に帰ってくれ。早く。早く出てってくれえと。

 私はいつもこの珈琲店の前を通りかかると断り書きだけを熟読して再び立ち去る。まだまだ私のような若造の来る所ではないなと肩を落として歩き去るのみである。しかしいつか一度は飲んでみたいものだ。上野という街であれだけのタンカ切って物を売るのだからこれは余程の自信だ。間違いなくべらぼうに美味いに決まっているのである。

 思い出の店ではなく思い出にしたい店というものが私には何軒かあるが、まだどの店にも私は入ることができない。思い出にしたい店とは私にとっての願望が一つ実現したその日にふらりと寄って気に入っちゃったことにしたい店である。神保町のビルの谷間にある某カレー店は俺もこうなると人気脚本家かと思ったその日に初参するつもりでいるが人気脚本家の適齢期を過ぎかけている今あの店は私に遠い気がする。新宿のロシア料理店にはプロの女性と付き合い始めたその日に行く予定。プロの女性とは風俗の女性に限らない。女優でもダンサーでも格闘家でも何でも良いから普通は結構なお金を払ってうっとり拝ませていただくプロの肉体を持つ女性と堂々と付き合えたその記念に。ロシア料理。これはもう決まったことなんです。ただ実現の見込みは全くない。上野の珈琲店は何の思い出の店に仮定しようか。俺も今日からダメ連かぁとか。作る会かぁとか。ちょっとは知れた徒党の構成員になってしまったその時では。