無論人生はおかわりできないんである

 テアトル新宿にてホン・サンス監督「気まぐれな唇」を観る。2002年にアジア太平洋映画祭監督賞を受賞した韓国産のライトポルノである。それで太平洋か。実際本作は70年代の三流エロ劇画的ムサイ助平臭が漂う。主人公ギョンスは仕事にあぶれた俳優である。宮沢章夫似のおっとりした個性派であり、舞台を離れて映画界で一発食いたいところだが思うように役は来ない。乗り気だった新作映画への出演をやっぱし知名度的に今イチとの理由で拒まれたギョンスは予定のギャラを制作部から強引にふんだくる。大学の先輩でもあった監督からは「人間として生きることは難しい。だが怪物にだけはなるな」と忠告されるが、まるで聞かずウサ晴らしの旅に出る。

 マイナー俳優のお前を知ってるダンサー女性がいるよと電話をくれた郷里の先輩を訪ねることにしたのだ。ダンサー女性のミョンスクはあけっぴろげで魅力的だった。先輩と三人で酒を飲んでいる酒屋の片隅でも一瞬二人きりになれば「仲良くする為に」絶妙のキスをかます。仕事にあぶれてクサクサしてる俳優にこんなファンが現われては恐らく駄目になる。駄目に拍車がかかるというものだ。ギョンスはミョンスクの肉体に溺れる。が、ミョンスクは意外にも「愛していると言ってくれなきゃ嫌」などと二度目から変に古風である。二度目とは朝の寝起きの二度目である。ギョンスという男は精力旺盛で「女なら誰でも喜ぶはずだわこんなの」とミョンスクに言わしめる性豪だが、そんな物凄い夜のその次の朝にも何となくおかわりしてしまう体質らしい。「ダイエットしてもやせなくて」悩む熊のような尻の持ち主である。ウサ晴らしといえばこれ以上無い思いをさせてもらったのでソウルに帰ることにしたギョンスを先輩とミョンスクが見送るがどうもお互いがぎこちない。前の晩にミョンスクから「今あなたの先輩とホテルにいるけどあたしこれからどうすればいい」などと電話寄越されたギョンスは知るかバカアマと電話を切っていた。何にせよ相手構わずな女かとその時は呆れたがどうも事情が違う。先輩とミョンスクは以前から特別な仲でたまたまファンだった同級生のマイナー俳優の自分は二人の間で良いようにオモチャにされたような。

 結果的には以前にも増していじけ始めてソウルに帰る列車の列車の中でギョンスの前に現われたもう一人の女ソニョン。舞台俳優時代からのファンですのよと語りかけるソニョンによければ食堂車でビールでもと誘うギョンス。もてあそばれた借りをここで返そうかと逆ナンパするが失敗。次の駅でそそくさと降りて行ったソニョンを自宅まで何となく尾行してしまうギョンス。ヒマな役者があぶく銭を持ってプラプラしてるところにそんな女と出逢ってしまうと他にすることが思い浮かばないようだ。初めはガードの固かったソニョンは大学教授の妻であった。どうにか焼肉屋に連れ出して酒を飲むうちに本当は役者になる前の貴方だって知ってると少女時代に街で不良にからかわれていたところを学生だったギョンスが助けた話などするソニョン。当のギョンスはまるで記憶にないが、今だと思い立ちソニョンを強引にシティホテルへ。小柄だがミョンスクに負けず肉感的なソニョンに挑みかかるギョンス。一夜明ければ当然おかわり。が、ミョンスクと違いソニョンは割とおかわり好きだったらしい。そんなところが気に入ったのか今度は引き返せない所までソニョンに溺れてしまうギョンス。自宅の庭先でくつろぐソニョンの元へ板張りの塀をバキバキと破壊し闖入してまで「ちょっと逢いたいんだ」などと。

 この男のちょっと逢いたいんだとはどんな意味かわかっていても結局は応じてしまうソニョン。ずるずると温泉マークのホテルで関係するうちにどうせなら一緒に死のうかと持ちかけるギョンス。何となく先が見えたのだろうか。そんな仲になった以上早まるなともよし死のうとも言えぬソニョンはギョンスを外へ連れ出す。偶然見てもらった占い師にソニョンは安定した今の生活を大切にと説得され、なるほどと感心する。ギョンスは浮世離れした生き方と自滅寸前でせいぜい刃物には気をつけなさいなどと本当のことを言われる。「どうしたの。帰りましょうよ。」と言うソニョンに「俺がどこへ帰るの」と目が点になったギョンスが。ソニョンはしばらく考えて支度をして戻るまでここに居てねと走り去り、そのまま逃げた。逃げたソニョンを家まで追いかけたが結局あきらめるようなところで唐突に映画は終わる。ヒマな役者が偶然出逢った自分のファンになぐさめられて余計商品価値もクソもないダメ男に成り果てるだけの本作の評価は二分。何も言ってない。いやそこが素晴らしいと。新世紀の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は韓国から誕生しましたっちゅうフライヤー向きの映画史デッチ上げたいのは、ほかならぬ日本の映画界の人間のようでそこが気色よくない。映画はともかくも。気色よくないですよ何か。