ご近所の星に迷走中である

部屋中の一円玉五円玉を引っかき集め卓上に十の固まり一つ二つと積み上げる苦笑い。目算した計を茶封筒に書きしるしジャラジャラと小銭を中に投入す。時間にして小一時間くらいの作業である。が、これが精神衛生上の理由からこなす場合と事実今日明日の交通費コーヒー代、半玉キャベツ代にも困ってあたふた十の固まりを積み上げている場合とでは全く違う。前者は言ってみりゃ洒落の範疇の貧困でありそこはかとなくメロウ。太田裕美ベストをBGMにちまちまと内職気分で山銭を数える自分が可笑しくもある分まだ救いがあるのだ。が、後者になると洒落の範疇から大分遠のく。このバラ銭を明日夕刻までに両替せねばどうなる。出来んことっちゃないがドトールのカウンターで銭湯の番台でビニール袋につめた一円玉五円玉をブチまけ頭を下げ、店員がエンゲルスカウンターにそれらを積み上げてくれるお義理を待つのだ。70年代の児童向けドラマなら泣かせどころだ。子役なら画的には何とかもつ。成人ではどうか。一人前の男子のはずがそこまでピーピーでも世間的には認知されてしまう職業といえばやはり落語家。落語家になりすまして銀行に行くことにしよ。が、しまった。私の家の近所にはかの九代目桂文楽師匠のお住まいがあるのだ。忘れちゃいけないご近所の星。

 文楽師匠のお姿に実際御目にかかったのは過去二度。二十年近くもすぐそばに隣住しながらたった二度。一度は地下鉄の駅にフラフラ歩いていくゴルフ焼けの後ろ姿を。もう一度はご自宅のガレージでアウディ(だったかしら)にゴルフバッグを積み込むサングラスの下の四角い顔を。何かゴルフばっかりやって遊んでいるように書いてしまったが高座の師匠を私はまだ未見であった。ご近所の星の仕事振りをペヤングソース焼きそばのCF以外では今だ未見であったのだ。これを機会に一度見ておこうかとも思うのだ。ご近所の星のナマの輝きをこの目で。

 宮沢賢治のそれは熱心なファンの集う読書と喫茶との店「どんぐりと山猫」なども師匠宅付近にはあった。私も一度はのぞいてみたかったがあまりに熱心なファン同士のその熱気に気後れしてドアをくぐれず終いであった。熱心といってもほの暗い店内で老若男女がそれぞれ本を読んで時折談笑してる風にしか見えぬのだが。それが定例の「勉強会」と告知されたドアに貼り紙されているのを見ると参加するのは勇気のいることであった。しかしご近所の星、桂文楽師匠は今月も上野鈴本の高座に上がるわけで。なんとなく20年前に勘当された不良息子の心持ちで私は鈴本に闖入しようかと。