想い出はイカ臭過ぎるんである

投票所にも行かなかったくせに、心の中ではれんほうさんを応援していた私とは一体。スーパージョッキー時代の蓮舫なんぞ全く興味が無かったのに。もっとさかのぼってキャンギャル時代の彼女にもこれっぽっちも反応した覚えがないのに。でも今はれんほうさんを応援している。彼女同い年なんだ。選挙のポスターで始めて知ったけど。タレント時代には確か昭和40年代初頭生まれの顔は見せていなかったような。同じように割合最近になって結局同世代なんかとカックンときたタレントに岡本夏生とか。要するにもうどうでもいいじゃないスかということなのだろうけど。それで損したの、得したの、何を返して欲しいっての。写真時代?タンパク質?純粋な心?と開き直られても何も言えぬが。ま、れんほうさんの場合は公職に就く身であればその辺のこといつまでも口ごもっていられないのだろう。

 しかしそうした出来事にいつも考えさせられるのである。いくら年齢をゴマかし容姿をいたずらし、名前も生まれも育ちも再編集したところでどうなのだろう。郷里でテレビを囲むトビ職の若者達の間ではホラこの女俺らの二個上の何たら先輩の彼女だったとか駅前のゲームセンターでよくメローイエローの空ビンでトルエン回し飲んだとか想い出話に花も咲いている訳で。やはり彼女達にとって京に上る行為はある種の亡命なのだろう。トビ職の女王より学園祭の女王

 そうしたデビューにデビューを重ねた例ではなく、はじめから同世代と知らされていた当時のアイドルには森尾由美や小出広美がいる。森尾由美を応援することにしたのだけれど一緒にどうかと高校時代の同級生に誘われた記憶がある。何となく断った理由はその同級生の異様に輝く眼。光る眼であった。何でも中学時代を共にした草加育ちの退校生からデビュー前の情報がドクドクと流れてくるとか。「今度会って直接話聞きに行くんだけど」君もどうかということらしかった。デビュー前のドクドク情報とは全ての女性タレント(女性性を売る)に何時の時代もつきまとう前述のナニである。大概は良く知っている先輩の元彼である。どうせどこまで本当かホラかわからないエロ話だ。いっそのこと俺がつい去年まで毎週のように高速沿いのモーテルでそりゃもう「遠雷」の世界でよ。だから俺にとっては今度のあいつの映画の方が再現ドキュメントか何か天井見上げて。天井にはあの日と同じE.YAZAWAの旧モデル浴上げタオル。画鋲止め。思うに画鋲のほうがまだタフネスだ。そんな本当かホラかわからん青春期よりも。