頼れぬ兄貴にもう頼れないんである

 正午近くに銀座の教文館をぬらりくらりする。文庫のコーナーにて足を止める。と、中島らもの「今夜、すべてのバーで」が今時分平積みされているのではてと思う。一番上の一冊に白い帯がかけられてサインペンで「追悼、お酒はほどほどに」などと。はてと思う。そのとき私もたまたま宿酔いであったので自分が茶化されているような気がしてその場は不機嫌に立ち去った。が、よくよく考えると笑い事でなく「追悼」なのだ。中島らもが恐らくアルコールが引き金で中毒死したか酔狂の果ての一発芸による事故死をしたのだろう。そんなニュースは私の元には全く届かなかった。NHKのラジオ深夜便宝焼酎カパカパやってうすぼんやり聴いている以外新聞もテレビも目を通さなきゃ当然か。作家の中島らもさんが云々というニュースを現時点では扱いにくいのかもしれない。オリンピックフィーバーに水を差すかもしれないなどと。その後も喫茶店などでスポーツ紙や週刊誌を引っくりめくり続けるが中島らもに関する記事はない。あの白帯はただのジョークなのか。大麻の件で小説の方では足踏み状態の中島らもを文学者としてひとまず「追悼」しますとか。そんな気の効いたジョークを大型書店の店員が。ああいうの喜んで書く書店員の顔は何となく目に浮かぶので「追悼」はマジだこれは。中島らも没すか。三十代崖っぷちの私世代にとって常に頼りがいの無い兄貴であった中島らもがもう居ない。本人はその事に気付いていないだろうと思われる。他人の私は好きなお酒で死ねて本望ですねと思うか。思わない。酒好きは酒で死ぬほど飲まない。酒飲みは死ぬまで飲みかねない。そして酒飲みは酒で死にたい訳ではない。むしろ逆。じゃあ飲まなきゃいいだろうと人は言う。人は色々な事を言いますよ。でもこの心持ちだけは本当である。酒飲みはゆるやかな自殺行為を楽しんで飲んでいるのではない。その逆。だから何が逆なんだよと人は言う。人は色々な事を言いますよ。もう構ってられません。こっちは追悼式の準備で忙しいのだ。今夜はザ・カーナビーツのアルバムを聴きながら「さかだち日記」を乱読する。勿論宝焼酎付きで。中島らもザ・カーナビーツが何かと人は言う。別に私がそうチョイスしたまでの事だが。中島らものあのチンチクリンな格好良さとカーナビーツは重なる気がするのだ。GS世代なのにオリジナルパンク血肉化させていたように見られた中島らもに最後まで嫌味か。いや今夜はカーナビーツでそこまで送りますから。何かあっちゃいけませんから。兄貴終始無言劇。