ソフトでもハードでも大迷惑である

 私はコンタクトレンズ使用していませんので、あしからず。などといったメッセージをさりげなく伝えられるジョークグッズがあればいいのに。イエスノー枕みたいな感覚の。そう痛切に願うほど近頃の街頭PRのねちっこいこと。一体今コンタクトはどのくらい売れているのか知らん。メガネもコンタクトも私用していない人のほうが極めて少ないのだろうか。
 高校時代の演劇部の先輩で視力は0.0何たらのド近眼なのだが常に裸眼で通している人がいた。当時「ひとりぼっちは嫌い」という曲で売り出していた湿り気たっぷりのB級アイドル似の彼女はメガネもコンタクトも「気持ち悪くなるから」使用しないと言っていた。でもそれで日常生活に支障はないのか。信号は見えますかという問いには「ぼんやりとね」とあっさり語った。が、横断歩道は向こう岸までは良く見えない」ばかりか標識などは「全然見えない」ということだった。駅のホームで特急電車がビュンビュン走り抜けるギリッ端をとぼとぼ歩いている彼女に部員達と駆け寄ったことがある。が、やはり「何か通ってるなって」ほどしか体感できないものらしいのだ。エイチもコンタクトだ。一日中行動を共にするときは必ず一度はコンタクトをハメたり洗ったりする。その際ウーとかアーとかうめき声をいかにもダルそうにうなる。ぼんやりした世界で生活するのはそれだけでスタミナを消費することなのだろうか。
 で、私に関して言えば現在コンタクトレンズを使用していないのである。できれば少しくらい視力が低下してもコンタクトは使用したくないのである。着用すると眼が痛むとか傷付くなどとはかれこれ30年前のフォークロアだとは思う。100%の猫肉バーガーとおなじレベルの巨大化するブランドに投げつけられた石つぶてだとも思う。今時コンタクトが怖いだのタンポンが怖いだのひとりぼっちは嫌いだの甘えてんじゃないとも思う。何ちゅことないんでしょう、もう今時のコンタクトは安くて安心でどれを選んでも。とは思うのだがやはり私はコンタクトは使用したくない。それまで街頭で何万回と「○○コンタクトです。お願いしまーす」とパンフを差し出されてもプイと横向いて通り過ぎてきた以上は。こっちにもプライドがある。どうして裸眼生活者である私にそうやすやすとお願いしてしまうのか逆に問いたい。それは間違いなのか。コンタクトは視力のどうこうに関わらず使用するもの。「お願いしまーす」なんて泌尿器科のパンフが街頭で差し出され始めたら。その際に対応できるジョークグッズを早く誰か。