変な話天使でいてくれるんである

 仕事帰りに通り過ぎたコンビニの店頭の新聞ラックにあの黄土色の見出しビラが。「田代まさし逮捕」などと。えっ、マーシーが?と心はざわめきつつもその場はまず立ち去った。が、その後二件、三件とコンビニの前を通る度に私の中のマーシーに対する里心は高鳴る。ついに四件目のコンビニで東スポを入手。家に帰って紙面をめくるがマーシーに関する記事は無い。こういうことはよくあることだが何度でも先走って興味も無い記事だらけのスポーツ紙を買わされてしまう。AV女優から格闘家へ転身、黒田エミ。知らない。興味無い。
 マーシーのことを教えてくれるのはどの新聞なのだ。コンビニの店頭で聞けばよかったのか。すみません田代まさし逮捕って…何となくはしたないそれは。しかし前回の中島らもの例もある。マーシーが逮捕されたらしいと。ただそれだけの一行告知を何やら心の奥に宙ぶらりんにぶらさげてしばらくはやり過ごそうか。
 中島らもの文庫に手書きの追悼コメントを寄せた帯がかかっていたのを見つけたあの日から「ダ・ヴィンチ」10月号を手にするまでの数週間、私にとって中島らもは変な話天使のような存在であった。この世にはもう居ないっちゃ居ない。が、定かではない。書店で見つけた追悼の帯は誰かのいたずらで中島らもは実際ピンピンしている。と、思えないでもなかったあの数週間は変な話メランコリックで楽しかった。秋だというのに恋もできないんか中島らもは。いや、できるんかまだまだ生きるんかなどとカーナビーツ乱聴しつつ「さかだち日記」乱読していたあの宙ぶらりんな昼と夜の、変な話エクスタシーが忘れられないんである。気持ちいいことイコール死にそうであることかも知れず。なるべく死なんように気持ちよがって生きて行くといいですよと。それだけはすっかり教えられた気がする数週間であった。
 そして今回のマーシーの件だが。同じジャンキーでもラリラリになっている姿が想像しにくいんであるマーシーの場合。普段からコントで阿呆な扮装で奇声を上げたりしていたからだろうか。サングラスのせいで視点が交差しているのも気付かれなかったのだろうか。それとも割合その辺はもうオープンに。オープンジャンキーみたいな普通の会社員や主婦がゴロゴロしている地帯もあるにはあるのでは現在の東京には。ノードラッグって位だから。ノードラッグなんてキャンペーン展開中でも交番の警官にとっては私に言われても困ってしまうことなのか。隣りの奥さんどう見ても鈴木いづみみたいな眼付きで夜中に徘徊してるんですけどって。