毎日が最後のマイ・ウェイである

シネカノン有楽町にて根岸吉太郎監督作品「透光の樹」を観る。平日の夕方で客入りは四割弱か。大人のラブロマン物ということで中高年が大半。ラブロマンとはいえ永島敏行演ずるテレビ製作会社社長は二十五年ぶりに再開した憧れの女性秋吉久美子を金で買うのだ。買う事は買うのだけど秋吉への想いは青春期と少しも変わらない。父親の借金に苦しんでいる秋吉を見るに見かねて助けてやろうとする。どうしてそんな大金をあっさりとと問う秋吉に「決まってるでしょう。あなたが目当て。目的はあなたしかない。」と酒の勢いから電話口で開き直る。
 「遠雷」で見合いの席からドライブでもと誘い出した石田えりに「モーテル行くべ。遊んだ事あんだべ?」と開き直る若き日の永島敏行を思い出す。永島敏行にはこういう調子の良い男振りが似合っていて嫌味がない。呆れ返った女が結局言うことを聞いてしまう展開が不自然じゃないのだ。二十五年前からあなたに憧れていた。あなたはお金に困っている。私の手元にはお金がある。だべ?といったこの男少しバカなんじゃないだろうかと噴き出してしまいそうなフルチンな生き様を好演できるのは永島敏行しかいない。ショーケンは本作のようなラブロマンを五十過ぎたら演ってみたいようなことを三十代の頃のインタビューで語っていたが。金なら出すというえげつな振りがショーケンだと後味を悪くすると思うのだ。永島敏行の援交親父姿はなぜか不快指数が低い。やはり体育会系のなせる技だろうか。風俗店でも押忍、失礼しますを繰り返してしまいそうなキマジメさというか。
 そんなこんなで調子の良い私生活を繰り返すうちに永島社長は病に倒れる。大腸がんで手術が必要だが手術は拒む。セックスできない体になるなら早死にしても良いのですと医師に頭を下げる。そして再び秋吉との愛欲の日々。その後外人バーにて会社の連中と大酒を。自分の体の事も打ち明け強引に後任を決めさせた後のやけくその酒宴。社長のマイ・ウェイが聞きたいんですよとせがむ部下達に「安心しろ。これが最後のマイ・ウェイだ」とマイクを握る永島。過去何十回何百回と無理矢理聞かされ続けた社長のマイ・ウェイもこれが最後である。そう思うとたまらなくせつないのか本当に安心したのか部下達はワンワン泣き出す。このシーンで私は久し振りにポロポロと泣いてしまった。「遠雷」のラストでの「わたしの青い鳥」を思い出す。私以外の観客も一斉に鼻水をすすり始める。永島敏行という俳優が映画のクライマックス近くでこみ上げる気持ちを抑えて下手っぴいな歌を歌うと観客は一斉に泣く。なぜかはわからないが永島敏行の歌に二十余年後もポロポロ泣かされる気は今はしない。最後のマイ・ウェイかもしれない。三十面下げていっぱい泣いちゃってごめんなさい。しかし何となく根岸吉太郎がいるじゃないかといった生温かい感情がふつふつと。帰りに近所のビデオ屋で「女教師汚れた放課後」などついレンタル。風祭ゆきかぁ。まだお姉さまって感じ。その不登校児根性が問題か私の場合。秋吉久美子なら骨までしゃぶれる中高年と変わらんと思うが。嫌だよしゃぶられるほうだって本当は。だべ?

 10月29日、毎月末の金曜日の夜には澁谷ガボールにて、佐々木亜希子の活弁シネマライブがあるはずなのでいそいそ出かける。ジャニーズの追っかけのごとく毎日美容室に行ったり、シャツやパンツを新調したり。ま、ドレッシーに。だって彼女のライブに足を運ぶ以外にドレッシーにする機会など私の今の生活に皆無。誰にも格好つける必要の無い暮らし向きに身を沈め過ぎたからな。亀有名画座でコロッケかじってりゃシャーワセだった20代後半はもう忘れようと。古典映画に詳しい艶っぽいガールフレンドと月に一度はシネマデート。亀有商店街のジャンボコロッケと言わずお洒落なドリンクや料理もぜひ。入場料2500円で10年前の自分とは雲泥のドレッシーな夜が手に入るとはな。と、寅さんばりに只のおっかけである立場を忘れ活動弁士佐々木亜希子を見守り続けたこの半年間だった。だったですよ。
 その夜、ガボールはいつも通りのカフェバーに戻っていた。前回にフライヤーも口頭での予告も無かったのでもしやとも思ったが。「これからも無声映画をよろしくお願いします」とペコリと頭を下げた女史の胸中は。活弁シネマライブがこの会場では二度と開かれないことが決定した訳ではあるまい。が、ひとまず休演ということなのか知らん。ここ一年以上は順調に定期ライブを行なってきた小屋と次々に縁が切れてしまったということになるのか知らん。只のカフェバーに戻っていたガボールの前に約30秒立ちすくみ私は歩き出した。心のスクリーンにはエンドロールが。パープルシャドウズの「小さなスナック」が流れ始めていた。レギュラー二件を失った時期と私が通いつめた時期とが重なってしまったことは私にとって幸せだったのか不幸せだったのか。んなことよりも私が彼女にとってとんだ疫病神と言えますまいか。
 「これからも無声映画をよろしくお願いします」というラストメッセージの真意は。私はまたも手前勝手にこれからはあたしだけじゃなく無声映画全体、シーン全体をフォローして欲しいものだわと解釈していた。ひいては門前仲町で半世紀に手が届く歴史を持つ、無声映画鑑賞会の方に私をエスコートしてくれてるものと。門前仲町ポシャらせたら本当の疫病神だわと。来れるものなら来てみなさいと。じゃ行こうかなと。いや、足手まといもこの辺にしておくべきか。この半年間正直いい夢見させてもらったのでは。地図に示した会場が見つからず走り回る内にTシャツが汗だくになり、コンビニで着替えして開演直前に駆け込む場面もあった。はて、そのスチールは何処。

 10月29日、毎月末の金曜日の夜には澁谷ガボールにて、佐々木亜希子の活弁シネマライブがあるはずなのでいそいそ出かける。ジャニーズの追っかけのごとく毎日美容室に行ったり、シャツやパンツを新調したり。ま、ドレッシーに。だって彼女のライブに足を運ぶ以外にドレッシーにする機会など私の今の生活に皆無。誰にも格好つける必要の無い暮らし向きに身を沈め過ぎたからな。亀有名画座でコロッケかじってりゃシャーワセだった20代後半はもう忘れようと。古典映画に詳しい艶っぽいガールフレンドと月に一度はシネマデート。亀有商店街のジャンボコロッケと言わずお洒落なドリンクや料理もぜひ。入場料2500円で10年前の自分とは雲泥のドレッシーな夜が手に入るとはな。と、寅さんばりに只のおっかけである立場を忘れ活動弁士佐々木亜希子を見守り続けたこの半年間だった。だったですよ。
 その夜、ガボールはいつも通りのカフェバーに戻っていた。前回にフライヤーも口頭での予告も無かったのでもしやとも思ったが。「これからも無声映画をよろしくお願いします」とペコリと頭を下げた女史の胸中は。活弁シネマライブがこの会場では二度と開かれないことが決定した訳ではあるまい。が、ひとまず休演ということなのか知らん。ここ一年以上は順調に定期ライブを行なってきた小屋と次々に縁が切れてしまったということになるのか知らん。只のカフェバーに戻っていたガボールの前に約30秒立ちすくみ私は歩き出した。心のスクリーンにはエンドロールが。パープルシャドウズの「小さなスナック」が流れ始めていた。レギュラー二件を失った時期と私が通いつめた時期とが重なってしまったことは私にとって幸せだったのか不幸せだったのか。んなことよりも私が彼女にとってとんだ疫病神と言えますまいか。
 「これからも無声映画をよろしくお願いします」というラストメッセージの真意は。私はまたも手前勝手にこれからはあたしだけじゃなく無声映画全体、シーン全体をフォローして欲しいものだわと解釈していた。ひいては門前仲町で半世紀に手が届く歴史を持つ、無声映画鑑賞会の方に私をエスコートしてくれてるものと。門前仲町ポシャらせたら本当の疫病神だわと。来れるものなら来てみなさいと。じゃ行こうかなと。いや、足手まといもこの辺にしておくべきか。この半年間正直いい夢見させてもらったのでは。地図に示した会場が見つからず走り回る内にTシャツが汗だくになり、コンビニで着替えして開演直前に駆け込む場面もあった。はて、そのスチールは何処。