袋じゃ毎朝ワンモアタイムである

 テアトル新宿にて「ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム」を観た直後の事。男子トイレで小用を足す私の隣りに並ぶ二人の中高年男性が会話する。「しっかしエディ潘もよぉ」などと映画の影響で昭和四十年代の不良少年に戻って楽しげに話すそのおジィ二人の服装に私はギクリとなる。野球帽に地味な背広の上だけで下はジャージか作業ズボン。手元にはパンパンに中味の詰まったビニール製のズタ袋を持っている。中身と言うのはもしかすると家財道具一式かもしれない。上級者になるとズタ袋がキャスター付バッグになりその上はベビーバギーになりその上はリヤカーになる。その筋の人々である。
 そんな人々と私は毎朝のように池袋の激安コーヒースタンドで顔を合わせる。目は逸らすが。彼等は毎朝どこからか一人また一人とようようと姿を現わせては昭和四十年代の不良少年少女のごとく茶店の一角を占拠していく。シンナーこそ吸い始めないかわりに体臭は強烈に臭う。が、フーテン同志では今もそれが逆にステイタスなのかも知れぬ。時折椅子から転げ落ちそうになってゲラゲラと談笑しているので私も気になって耳をそば立てたこともあった。が、話の内容たるや別段面白くもカユくもない。目が覚めてここにたどり着くまで車が通り過ぎて犬コロがこっち見てやがって風なただそれだけの話にヒザを叩いて喜び合って笑い合っている。ラリッてるのか自らの体臭でもって。ザ・ゴールデン・カップスが「長い髪の少女」でお茶の間の人気アイドルの仲間入りを果たした頃には彼らにもそれぞれ家庭があったのだろう。プレハブ造りのアジトで今より数段建設的な議論をぶち合っていたものかもしれない。それが今は激安コーヒースタンドでミイラのごとくたむろす日々なのであるが。
 映画のオープニング、「ジス・バッド・ガール」にのせて洪水のごとくスクリーンを駆けめぐる昭和四十年代初頭のあらゆる政治、風俗のモンタージュに私は震えた。実にシビれた。当時をうっすら覚えている私でも反応するくらいだからその筋の元フーテン現ミイラの人々全てにこの映像を見せたらどうなってしまうのだろう。非常に危険な映画じゃないかと段々思えてきた。テレビで放映しない方が良いのでは。全ての定食屋、大衆中華の店が酔客に破壊されるのではないか。帰れるはずもない三十余年もの違い過去にひょいと帰れそうな気持ちにさせる回帰編のA面に復活ライブを追った後半のB面はやはり必要。エディ潘はもう不良少年のヒーローじゃなくて中華街の大将なんだと。その点が使用上の注意。