ダンチョネが耳をすます夜である

 2月19日、北とぴあ さくらホールにて「八代亜紀新春コンサート2005」を観る。私の座席は二階席のほぼ最前列中央。開演5分前に早くも酔客の野次が一階席の奥からこだます。かつてのトラック野郎のアイドルである八代亜紀の公演である。多少柄の悪いオッサンの一人や二人も居るだろうと覚悟はしていた。今の八代亜紀には中高年夫婦や親子連れの観客が中心になっているようだ。
 が、酔客共も元々自分達の熱い支持があって大化けした亜紀ちゃんを離したくないらしく開演後も吠えまくる。八代亜紀同様トラッカーの偶像である矢沢永吉のライブは現在酔客全廃運動が繰り広げられている。開演前からへべれけで野次っている客は即つまみ出しの即返金。八代サイドも永ちゃんを見習ってビシビシ仕切ってくれんかなァとも私は思った。が、舞台上の八代亜紀はさすがベテランで酔いどれ親父の間の悪い掛け声にもキリリと動じない。「ハイヨ、がんばるから、うん。ところで皆さんねえ」などと軽妙にいなして流してトークし続ける姿に変な感動。
 両手を豆だらけにしてトランク一つで地方キャンペーンに走り回った駆け出しの頃から自身が出演する映画を変装して劇場で観るほどのスターになるまでにかかる年月は実感としては7年とか。芸人というのは一端芽が出りゃ苦労した分は必ず売れるという内海好江師匠の残した言葉をふと思い出す。八代亜紀の黄金期も7年、そのくらいだったかもしれない。その間の数々のヒットを小中学生であった私が夢中で聴いていた訳ではない。
 しかし次々と歌う往年のヒット曲の数々は少年期の私の体内のどこかに沈殿しかすかに発熱していた事を実感す。「おんな港町」のイントロの格好良さはなんだ。「愛の終着駅」の主人公になったつもりでいたあの頃に精通はおろか発毛も始まっていない未成熟な童子だったはずの私なのに。気持ちは男に捨てられ最果ての北の旅路をさまよってました。考えてみりゃ異常な事。だが、歌謡曲の毒性とはそういうものではないだろうか。道ならぬ恋など死ぬまで、ちゅか死んだところで体感することのないおんぼろの皆様のための簡易枕草子。それが八代亜紀の世界。よろめき歌謡の世界である。「労働者の歌を歌います」とキッパリ宣言し歌い出す「山谷ブルース」。目黒に五億円の豪邸を建てた直後にリアリティ無いっしょと思いかけたがこの日一番胸倉つかまれた。その濃厚なブルース感にくらり。大金を握ったらブルージーじゃなくなっちゃうようなブルース歌手はもとよりブルースにあらずか。今年から公称35歳と女王が。