夢見るように眠っちゃ損である

 昼間は神保町の美容室で髪を切りました。シャンプー台で女先生に「流しまぁす」と押し倒されてじゃぶじゃぶやられて。「かゆい所ないですかぁ」か何か耳元でささやかれてウンニャか何かうなずいて。で、流し終わってひざ元のタオルを取るときに女先生必ず一時躊躇するのね。これはどういうことかというと自分のような若ピチ女先生に押し倒されてジャブジャブされた熱でまさか反応してやしないでしょうねという女先生の用心。そのまさかの例もあるのかも知れぬ。どうするのかね、中学生くらいの男子がもう立って歩けないほどに反応したりした場合に。もっかいタオルかけてちょっと失礼しますか何か。これでも読んでろと女性誌を手渡したり。そういう時の為に「小公子」とか「カラマーゾフの兄弟」とか用意してあるとか。しかし私とエイチの場合そうなったらそうなったでいいと思える性癖があるのだ。男女兼用の茶店のトイレで小用足してるところを女学生に見られたとか。それはそれで貴重な体験じゃないかと。いいなそれとカプチーノで乾杯した学生時代。
 そんな時代私達以外誰も懐かしむ訳もないが活弁シネマライブは相変わらず盛況でした。澁谷がぼうるに行ってきました。上映作品は小津安二郎監督「東京の合唱」(31年マキノ松竹蒲田作品)。大不況の折、エリート保険外交員としてまずまずの暮らしをしていた主人公岡島は二児の父。が、ある日取引相手がバタバタ事故死するという理由でクビを切られた老社員に同情し社長にかけ合う。そして自分もクビを切られ路頭に迷う。そんな時に限って愛娘が入院。生活は荒れる一方に。が、偶然再会した学生時代の恩師に拾われて開店したばかりの一杯飯屋を手伝うことになる。サンドイッチマンまでやった甲斐あって店は盛り上がり、やがて恩師の口利きで岡島に再就職の道が。栃木くんだりで田舎教師をするというその話を複雑な思いで承知する。その日一杯飯屋に集まったかつての同級生達と景気付けに合唱しながら思い出深い東京にきっとまたいつか帰ってくるぞと心に誓う岡島で有りましたと。佐々木亜希子女史のいつもながらのスリーピーな名調子で楽しませてもらった。自分のようなものが追いかけた勢いで仕事が激減してしまい今後は遠慮させてもらいますわか何か以前この場に書きましたが。文字通り会場が割れんばかりの大入りにもう安心。私の疫病神としての神通力も女史の前には通用しないようである。今度は五月に公演を予定とか。と、なると私は女史を丸一年フォローしてきたことになるか。まだ低学年すわ。