先頭は歌謡曲、二着に私である

 文化放送走れ歌謡曲」金曜日担当は南かなこである。先々週にめでたく放送百回を超えた当番組を私は今年の一月から度々愛聴している。できれば毎週かかさずチェッキラしたい所だが。なにせオンエアーは深夜三時から明け方五時である。阿呆鳥のオールナイトニッポンのようにどうでもいいパーソナリティのどうでもいいよた話が流れる時間帯という印象が私の中から抜けていないのか。ついつい寝入ってしまうんである。
 南かなこは現在の私にとってどうでもよくない才能の一つである。菊池桃子細川ふみえと何となく脈絡がありそうな私個人の歴代レイディオ・ガールの列にひょいと現われた珍キャラである。脈絡を見つけるとすれば番組終了間際にマイクに向かってキスを送ってくれるお約束か。
十代の終わりには菊池桃子の電波キスをラジカセのスピーカーに顔を近付けて拾っていた私。二十代の終わりにフーミンの電波キスを同じ様に拾うほどには純情でなかった。三十代の終わりに南かなこの電波キスをどの様に受け止めたら良いかは思案中である。母国語であるポルトガル語で何やら早口でまくしたてた後に洗面所の清掃スポイトを顔面に押しつけられた様に濃厚にブチゥーッとかます南。フラジル娘の心意気か。いっその事目覚まし時計でその時刻に起きてブチューだけ付き合って二度寝というのは。いや、それはルール違反である。普通なら誰しもがガーガー寝入っているこの時間帯にみっちり2時間付き合ってくれたリスナーへの南からのプレゼントなのだあのブチューは恐らく。
 そしてこのリスナー層というのがほとんど勤労青年達で固められているのがポイントだろう。長距離トラックをブッ飛ばす運転手、牛乳配達の作業中の苦学生、市場に急ぐ飲食店のオカミさんなどが仕事の合い間に応援メールを送信してくる。実に清々しい番組なので私の様に万年床でポツリと一人耳をそば立てているネズミ男には聴く資格が無いと思う。できれば私も近所の豆腐屋にでも勤めて水仕事に追われつつ愛聴したい。が、こんな聴き方も考えた。毎週金曜午前三時に私は深夜タクシーで自宅から片道二時間かかる地点まで移動する。「走れ歌謡曲」がスタートすると同時に私はトランジスタラジオのスイッチを入れる。南かなこトークに耳を傾けつつ早朝ジョギングである。これなら勤労青年達と肩を並べてもさほど見劣りすまい。二時間みっちり全身で付き合った私ならば濃厚なブチューをキャッチする資格もあるというもの。朝日のようにさわやかに。私の為にある言葉と思いたくなるのだ。