貴女もまた御愁傷様である

 五月のとある日、池袋の大型書店を何となくウロチョロ。少し前に手に取って立ち読みした中央線に関するムックにポップが立っている。そこには高田渡ラストインタビューとあった。高田渡に昭和三十年代の東京の田舎、吉祥寺を語ってもらうという企画であった。
 が、そのインタビューをまとめるのが二十代そこそこの新米女性ライターという段取りに高田渡が怒りを隠さない。街を歩いている時などやはり自然とメロディーが浮かんだりとか、などと聞いた風な質問を平気でしてしまう。そんな聞いた風な質問に聞いた風な返事ができるのはいわゆる四畳半フォーク界の歌手で高田渡はそうじゃないのだが。今時の二十代にそんな分別求めても仕方ないのかもしれない。
 しかし昭和三十年代の吉祥寺の話も自分のキャリアも、本当はさほど関心もなさそうな聞き手と向かい合わされている自分とは一体何ぞ。そんなやり場のない怒りにむせ返りながらもいつものカミさんがらみの小話で笑わせたりする。50歳以上の夫婦は半額で入場できる映画館のサービス企画を知ったカミさんから一緒に映画でもと誘われた高田渡だが。二十五年以上も暮らしている相手と今さら二人連れ立って映画館などシケ込んだ日には「殺されちゃうんじゃないかと思う」と苦笑い。これなどこの年代の夫婦の飾り気無しの姿を物語っている。和田誠のアニメーションによるあのサービス企画のPRには高田渡に一曲書き下ろして欲しかったと思った。
 のどかな東京の田舎だった吉祥寺について大いに語らせようとする女性ライターは、どちらかといえば新宿と変わらないほど雑多になった吉祥寺を楽しんでいる世代なのは間違いない。そんな若僧が古き良き中央線沿線にまつわる貴重な話を本当に貴重と思うかは言わずもがな。調子のいい奴だコノとクダをまく内にインタビューは意外な展開に。
 聞き手である側の女性ライターの方が自身の暗い生い立ちや家庭不和をブチまけ始めるのだ。こんな席で自分のつまんない素性なんか話してしまってすみませんと酒の勢いなのかもうボロボロになる女性ライターだが。高田渡は「つまんない話なんかじゃないだろ」と激して受けとめようとする。そういう胸の奥にあるものをもっと出さなきゃダメだと。
 中央線の原風景やら曲作りの苦労といった高田渡にとってそうそう聞かせられない話をさせる前に自分がまず全てさらけ出してみろと。「目ェいじってる場合じゃないんだよコノ」とからむ高田渡にグズグズに平伏するこの女性ライターはこれからどうすればいいのか。これで簡単には足を洗えないではないか。