埼玉県吉加賀市は実在するんである

 銀座シネパトスにて4月半ばから公開中の「甦る裸身 萌えるエロス−日活ロマンポルノ・アラベスク2005−」にちょぼちょぼ通っている。五百本以上もある日活ロマンポルノ作品の中で選りすぐりの名作をチョイスした好企画ということだが。勿論過去の名作が再映されることは嬉しいのだがどうも同じ作品ばかりかけているような気がしないでもないのがこの類の特集に感ずる所。
 五百本以上も撮られたはずの名作秀作とは呼びにくいフィルム達はどうなっているのかしら。案外大部分は雑誌の返本並の扱いで倉庫にうっちゃってあるのではないか。恐らく内容的にはやはりつまらないそうした失敗作群も今ではまた違った付加価値があるのではないかしら。70年代初頭の東京近郊のまだまだスカスカした街並みとか安アパートの冷蔵庫にペタペタ貼られた花柄のステッカーとか。80年代作品の中の不良の寝城に転がるビールケースを利用したテーブルにパイプベッド、人が乗ればまず床にズリ落ちるはずのしょぼいハンモック、改めて可愛くも何ともないキャベツ人形。そうした何気ない背景や小道具に風俗資料としての値打ちが2005年の現在ではあるのではないかしら。
 本特集のような企画に必ずといっていいほど見かける映画学校の生徒とおぼしき若者らの撮る作品の中にロマンポルノのスピリッツなるものはどのように異形化歪曲化されて延命されていくのか。いや案外80年代のロカビリーブームや90年代のモッズリバイバルのように形、形でなぞられていくのかとも。そうなると2005年の崔洋一を気取る弱冠二十歳の駆け出しディレクターはパシリの大道具に何を命じるか。キャベツ人形の本物を濡れ場のボカシに置きたがるのではないか。今時手に入りませんよそんな物。じゃあマジソンバッグで。有りません。アディダスなら。駄目。アドミリ−じゃなきゃなどと諸行無常な企画会議が夜を徹してくり広げられているのかもしれず。
 その様にして形、形にこだわり倒して撮り上げた大河ロマンポルノ作品を映画学校の教室の方角で車座になり酒宴の肴ににしてちゃっちゃと片付けてしまうのは他人事ながら勿体無い。いっそのことさも当時のお蔵入り失敗作を装って一般公開してしまえば良いのでは。昨今のピンク映画館では新作三本立てにオールドファン向きに70年代物の旧作もオマケに付けて上映するパターンが多い。そのオマケが実はデッチ上げの大河ロマンポルノというのは。だまされて観ちゃった中年親父達もその心意気を買ってくれると思うのだが。本物のキャベツ人形があれば。