君はわが運命のまた片面である

 春先の出来事だったと思うが、日暮里周辺をまた意味も無く宿酔いの赤ら顔でほっつき歩いていた。ふいに背後からママチャリに追突され、横断歩道上でスッ転げてしまった。ママチャリに乗った女子高生は私を無視してそのままヨロヨロ徐行を続け、横断歩道を渡りきった所で全力こぎで逃げ去っていった。が、私はその女子高生が耳かけ式のヘッドフォンで、音楽を聴きながらママチャリをこいでいたのをハッキリと確認していた。
 音楽なんか聴きながら表を歩いていたら危ないぞう、と言うのは映画「逆噴射家族」の中で小林克也演ずるお父さんが、ウォークマン着用のまま通学する工藤夕貴演ずる娘に注意する場面での台詞である。「逆噴射家族」も既にふた昔前の映画である。あの工藤夕貴の娘世代にあたる今時の女子高生達は、ウォークマン着用のままママチャリや原付で人ごみをウリャウリャと走り抜けようとする。どんな蛮風も時がたてば余計に大胆にエスカレートしていくだけというのは当たり前過ぎて面白くないと私なぞ思うのだが。
 バブル期のお嬢様ブームのようにハッタリ半分でも貞女面を守る意味が無くなってしまったことが原因でもあるのか。馬の骨でもかぶりつければひと安心の不況下をさまよう適齢期(というものがあると思った方が良い)の婦女子もそれなりに必死な訳で。私のような利用価値の見当らぬうらぶれた中年男など馬の骨以下、馬糞以下、フンコロガシと間違えてママチャリで踏み潰してしまったという所か。フンコロガシ側から思う所は?ユメヲ、モトウ。悔し紛れに何オノ・ヨーコ気取ってんだと野次られようと他に言葉が見つからないのであります。バブルがまた来やしないかと期待する態度もあきらめて御意見無用の土方ギャル化する態度もひどく暗く感じざるを得ないのである。本当のノーフューチャーはちょっと。
 何かフューチャー感じたか知らん昨今。佐藤寛子の優等生モードのままのお色気路線とか。あれ少し感じますね。関根恵子思い出してサワーな味覚がお口いっぱいに何と言うか。佐藤寛子よ、関根恵子になってくれ。世代的開き大き過ぎか。優等生といえば岡田有希子か。ユッコに似てるかもね。じゃあユッコになってくれと?ユッコになってくれと騒ぐ私の胸の内にはフューチャーあるのですよ実は。
 御意見無用の土方ギャルにからかわれ続けるフンコロガシの飛び立つ先はユッコサイズの佐藤寛子の胸。「ラブ・フェアー」カヴァーしましょうよ。誰かやりましょうよ。百恵を見限ってユッコで売ろうと腹を決めた敏腕プロデューサーの肉の壁になりたい私。