ゆく年くる年皆袋とじである

 5月18日、銀座シネパトスにて「花と蛇−白衣縄奴隷−」を観る。監督 西村昭五郎、主演はSMの女王というキャッチが大衆の印象に残る最後の女優である真咲乱。肉体的にはSMの女王の看板を背負うに充分過ぎる真咲乱だったが、精神的には全然その気が無かった為に逃げる様にしてにっかつを去った。本作はその真咲乱の引退作である。
 SMシーンどころか普通の日常場面の会話すら嫌で嫌でたまらなそうである。昭和61年という年がどんな年であったか今はっきりとは思い出せない。が、真咲乱がにっかつを逃げ去ったと知ったまだ十代の終りだった私は、もうSMの女王でもないかとぼんやり思った気がする。ハリウッドサイズの豊満な肉体の邦人女優を蔵の中でSM調教する昭和の花と蛇シリーズの根底にあるのはやはり終戦というより敗戦なのである。力道山が白人レスラーを空手チョップでコテンパンにする姿に熱狂したドヤ街の浮浪児達が成人した後にはモンロー並の肢体を持つ谷ナオミが緊縛され虐め抜かれる姿に酔いしれる。
 「もういじめられるの嫌なの」発言に私などは目からウロコといった感が無くもなかった。SM美学などと言ってもその気が無い層から見れば暗く貧しい只のいじめ行為でしかないのかと。団鬼六の世界が暗く貧しい只のいじめ礼賛文学という扱われ方をし始めた昭和61年に対比して、平成17年の現在はどうか。「花と蛇2 パリ/静子」もまた前作同様大ヒットするのであろうか。今時ヒット作の生まれた翌年にその続編が封切られるという事態こそ信じられないと思うのだが。
 力道山谷ナオミも知らない現在の成人男子が杉本彩なら毎年責めて責めまくってくれと熱望しているのは何故。旧シリーズの花と蛇の根底にあるのが敗戦であるならば新シリーズの根底に眠る日本人の心とは何ぞ。私個人は杉本彩なら責めて責めまくりたい成人男子の気持ちが余りよくわからない。コスプレ歌手時代の杉本彩に熱狂した過去は私にもあるのだがどうした訳か静子役の杉本彩には引いてしまうのである。
 杉本彩も真咲乱同様その気も無いのにSMの女王の看板背負わされている姿に寒気がするのか。真咲乱はまだその気が無いと世間に知らしめ戦後派をガックリさせただけ良かったような気もする。杉本彩にその気があろうとなかろうと今時の成人男子にはどちらでもいいことなのだ恐らく。暗く貧しいただのいじめも今や昼定食感覚かや。