帰らざる日々とは呼べぬ日々である

 昔ながらのヘナチョコなコンビニが街頭から姿を消しつつあるのは個人的にさみしいものである。看板からしてあまり聞いたこともないマイナーな響きがあり、ディスプレイも何処となくスカスカ。食品コーナーの片隅にプラスチックのザルが置いてあり、自家製のゆで卵が一個五十円で売られていたり。パック詰のまぜご飯同様、明らかに売れ残り品に店主が手を加えて処分しようとしているマユツバもの。
 それでも安価に釣られてつい入手してしまっていたあの頃の私は今より15キロ近くも太っていた。ジャンク食バリバリの時代でよく体をこわさなかったと思うが、貧乏劇団員をしてたおかげで少しは代謝できていたのだろう。いま同じ様な生活をしている若者は案外恵まれているのでは。生活用品は百円均一でまかなえるし、松屋吉野家も安くて清潔だ。
 ふた昔前のあのウス汚い内装の松屋でお世辞にもヘルシーとは言えぬ過味な牛めしに、真っ赤な真っ赤な紅しょうがをすくってガツガツやってた私はバンカラだったのかと思う。まだ少しバンカラ残ってたのではあの頃。のぞき部屋のラッキーホールとかバンカラですよね。ホールの向こうでナニをナニしてくれるのが、引退した浮世風呂のお母さん達というのも随分バンカラだし。
 私の場合、年の瀬になるとなぜかこのバンカラなるものを心のどこかで求めてしまう傾向にあるらしい。「テレビ有ります一泊二千円」などとのぼりの揺れる木賃宿に思わず入ってみたくなる。生家が土建屋だったからか。タコ部屋嫌いじゃないんである。ま、タコ部屋と呼んで差し支えない所に住んでもいるが。じゃあ私自身、私だけが未だにバンカラなのではないか。近所のコンビニにも下駄履きで行くし。腰に手拭いぶら下げてもいいと思っている。もうこうなったら。どうなったのか。
 しかしこうしたバンカラ話もそれなりに見を立て名を上げ一息ついて、初めて口外できるもの。現在からは想像もつかない汚い汚いヒッピー時代の話だって昔ヒッピー今浮浪者じゃ、ねえ。私は今切実な願いを込めてこの文章を書いている。今現在のタコ部屋暮らしがいつか私自身の「ネタ」になってくれることを。バンカラだったと語尾荒げて頭をポリポリ掻く日が一日も早くやって来て欲しい。お願いします。マリア様。
 お願いしますったってただ汚いだけのタコ部屋住民の頭上に金は降って来ないだろう。何か珍商売でも。ラッキーホールでも。オカマ芸人全盛の昨今なら案外流行るかも。自宅を改築したラッキーホール。スズナリみたいにかってはアパートだった文化スポットに退化進化。