これがまだ二度目の誘惑なんである

 2月10日、フィルムセンターにて「天使の誘惑」(松竹68年)を観る予定。まだ観てはいない。まだ今は2月9日なので。が、黛ジュン主演のアイドル歌謡映画である本作を私は過去一度観ている。十余年前に大井武蔵野館で観た。現在は閉館したその小屋が当時私はお気に入りでよく通ったのだ。著名な映画人が狭い館内にひょっこり姿を見せることも少なくなかった。不思議とそうした人物らにファン心理をムキ出しにさせない厳粛な空気の流れた場所であり、だからこそ映画人たちにも愛されていたのかも。
 私がそこで本作を観た頃の世間は山本リンダの再浮上期の後だ。続いて奥村チヨがやや再浮上を果たし次はどうやら黛ジュンの再浮上を計る動きがブラウン管と雑誌面の中にはあった。再編集のベスト盤が発売されて私はそれを買った。その年の紅白にも黛ジュンは出場した。パステルグリーンの超ミニワンピースで登場して確か「天使の誘惑」を歌ったような。個人的には応援していたはずのそんな黛ジュン再浮上計画は四分咲き位で沈下してしまったようだ。
 私はそれでいいとも思った。黛ジュンの魅力に反応する若者がその頃の世間にはもうさほど残っていないことにむしろ清々とした心持ちでいた。そしてその頃初めてスクリーンで観た68年の人気アイドル黛ジュンは私の心を撃ち抜いたのである。その若さとビートによって。黛ジュンにはビートがある。山本リンダ奥村チヨにはビートはない。それだけだ、などと村上龍気取りでスクリーンを見上げアゴをなで回していたまだ20代半ばの私だった。
 そして月日は流れた今、黛ジュンがマスコミに登場する際の話題の中心は更年期障害との闘いのその後についてである。60年代の終りに若ピチの人気アイドルだった黛ジュンが新世紀の初めにそうした状況にあっても世間的にはありきたりな出来事である。私にしても今の黛ジュンに今一度あの若さとビートを再演して欲しいとは思わない。50代のパンクロッカーに20代のテンションで世界ツアーとレコーディングとプロモーションを強要させれば死んでしまうのであり死者をフォローするという行為はそうする側の勝手な思い込みに過ぎない。私は黛ジュンをこれからもフォローしたいのであり同時に更年期障害である黛ジュンには冷静ないたわりを持ち続けたい。
 一番はっきりさせておきたいのは死んでしまった者をフォローするという行為、死者の思想に心酔するという行為はそうする側の勝手な思い込みだということ。個人的にはひどく臆病で一人じゃ何も果たせない弱虫めと思わずには。