革命は八十歳までにやるべきである

 4月5日、大塚中央図書館にて足立正生『映画革命』を読む。2ヶ月程前から3回に渡って読み進めてきたかなり分厚い本である。その間誰も本書を手に取ることはなかったのかしおりの位置が前回と同じ所にいつもちゃんとある。自宅に近い方のもう一件の図書センターには若松孝二の最新著書『時効無し』が早くも置いてあるがこちらもあまり利用客の手に取られた形跡がない。誰も読まなくたってこういう本は置いとくんですウチはといったポリシーのようなものが東京の下町の図書館司書の胸の内には宿っているのだろうか。
 彼等は60年代、70年代をどのように生きてきたのか。それは何となくわかるような気がした。が、『映画革命』で構成作家をしている人物が何と75年生れというのはおののいた。私より一回り下の人間が60年代の新宿を中心としたアングラカルチャーの生き字引である足立正生の聞き手となりかくもヘビィなヒストリー本を見事世に送り出している。とんでもない才能だと私なぞは思うのだが。だがそうした仕事を讃える人々は極めて少なく場末の千円寄席のごとく演者も一人、客も一人の有り様とは。
 若松孝二の企画中の新作映画に一口ウン万円でお付合い願えないでしょうかという内容のフライヤーをこの前新文芸座で見たような。その時は入場料千三百円も足の小指を風呂場の扉に引っ掛けて転んだ時くらいに痛い出費だったのでフライヤーを手に取る気力もなかった。師匠格の若松孝二が通りすがりの観客にカンパを募ってでもどうにか資金を作れぬかと苦闘中ということは足立正生もそれはそれは苦しいのだろうと思う。が、『映画革命』は何度も記すが量も質も充実した立派な著書でありはっきり言って『時効無し』よりずっとグレードが高いのでは。グレードは高いけども火事場の馬鹿力でえいやと出版してしまっただけのことで火は今も燃え広がっているのか。燃えろよ燃えろと。もう、いい、やれと。そう思うとこちらもうっかり関わると火傷をしそうな気も。火傷くらいはとっくにしているのかとも。
 墨田ユキを今度の映画に起用したかったが近いうち亭主になるって男が学会員のエリートでもう脱がねっつのよとぼやいていた旧文芸座のオールナイト公演にてマイクを握っていた若松監督の佇まいにシビれたのはもう二十年近くも昔のことか。カンパしようかやっぱり。もしギリギリ一口ウン万の一口くらいなら協力できるならば、ねぇ。それが無理なら消費者ローンで金を借りまくって自分の映画を作ると。手前が撮るか俺に撮らせるかですよか何か凄まれた感がどうも。