帰りは中本のラーメンが気分である

 6月21日、有楽町シネカノンにて塙幸成監督作品『初恋』(06年ギャガコミュニケーションズ)を観る。三億円事件の実行犯は女子高生であったという設定の純愛ミステリー作といった宣伝のされ方は全くその通り適確だと思った。三億円事件を知らない若い世代は宮崎あおいのタレント性にのみ引き寄せられて本作を観るのかも知れないがそれもいいかと。 私の世代としては自身が生れた頃の東京原風景を同世代の塙監督がどれ程の手腕で再現してくれるものかという期待から本作を観たくなった。そしてその表現力とはかくも恐るべきものだった。60年代末期の新宿アンダーグラウンドをCG画像、モノホンのビンテージ車両、ビンテージ雑貨などなどあの手この手で文句のつけようもないほどキッチリ再現しきっている。本作を20年後に色落ちしたボロフィルムで観た時には60年代の作品と見分けがつかないかも知れない。そこまで手を加えてしまう寸前まで乗りまくっていたのではと思わせる仕上がりの良さである。
 が、そうしたレトロ趣味ものに付着しがちな一人よがり的空しさも本作は上手くかわしていると思う。キャスティングのメジャー感、美術はあくまで貪欲でもストーリーまで下世話にしないところなどサジ加減が近頃の邦画には無いセンスの良さなのだ。
 かくも執念深く本作が出色の出来を見せたのも塙監督が60年代の新宿をリアルタイムでは体験していない点から発生しているのではないかと。思春期においてはそうしたアングラ文化にどっぷり追体験したであろう塙監督がメジャーな商業映画の枠組みで目一杯贅沢にあの時代を再現するなどとは正しく一生一品の入魂作になるはずである。と、出資者サイドも読みきって塙監督に白羽の矢を立て狙い通りの濃厚なノスタルジー劇が完成したとして。それを東京原風景大好き中年団がもろ手を上げて歓迎したとして。ならば金余りのオジイの郷愁をくすぐる観るレジャー、いわば大人の修学旅行という点で本作も『バルトの楽園』と全く同列にあるのかと。違う、そういうことを言うなと私は思う。思うがやはりオジイの郷愁かと。宮崎あおいみたいなガールフレンドが出来てもどうしていいかわからないものこの年で。
 では宮崎あおいファンの現役中高生は本作に何を感じるのか。オジイの郷愁に軽く付き合うどころか体全部全身全霊で60年代のフーテン少女になりきる彼女に複雑な想いか。あまりオヤジ層から理解されるアイドルって若者には面白くないだろう。私個人は本作によって宮崎あおいと60年代末期の若者像にまたやっかいな幻想頂きました。