猪ノ瀬さんに当時協力したはずである

11月12日、夜は自宅でウーダウダと。神保町の中古ビデオ屋で入手した伊丹十三監督作品『お葬式』を観る。85年公開当時にも有楽町の劇場で観たしその後も名画座で何度か観ているのだが。
人間年をとると昨日より何十年も昔がクリアに思い出されたりするというが今の私にとって一番近くて遠い「あの頃」とはジャストこの時代のような。『お葬式』が興行収入十五億円を売り上げ各映画賞を総ナメにしたあの頃。文字通り映画をナメているのかといった批判も当時はあったが。
今観直してみても同時期の邦画に比べて80年代的なチャラッ気はほとんど感じられない。私なぞは割と最近になって知った裏話に江戸家猫八演じる陰気な葬儀屋の主人の役を伊丹監督は松田優作でいくつもりだったというものがある。そう考えながら観直すと本作の江戸家猫八のアプローチ一つひとつに松田優作でいきたかった名残りのようなものを感じてしまう。が、本作に予定通り松田優作が陰気な葬儀屋役でチョロッと出てたりしたらどうか。
何となくそれでは映画の性格がともすれば丸ごと変ってしまっていたような気がする。変な話が松田優作まで引っぱり出していたらそれで目出たくブチ壊しだったような。そこまでやってしまっていたらそれはいかにも80年代的な悪ノリパーティ映画になっていたような。『下落合焼鳥ムービー』か『お葬式』だねぇ、我々の世代には…などと中古ビデオ屋の店主とムサイ常連客の語り草となってそれで終りだったような。
もう一つの小さな発見は本作の小林薫。焼き場の作業員役で台詞も短いのになぜか劇中誰もその名を呼ばない猪ノ瀬という役名で出演している。焼き場の男でも火葬場の男でも下手すれば作業員でも表現上の問題で不適切であったのか。じゃあ職種と離しましてこの人は猪ノ瀬さんだといった伊丹流の合理主義が見え隠れするような。
で、猪ノ瀬さんに扮することになった小林薫の演技だが。これが水を得た魚のごとく猪ノ瀬さん、あるいは猪ノ瀬さんと同じ職業の人々の特徴というか生活臭のようなものまで見事に演じてみせる。小林薫がこういう役にこういう乗り気を見せる場面を他の出演作ではあまり観たことがない。
伊丹作品を観ると何とも嫌な気分になるという巷の声は当時から多く聞かされた。そうした人たちと真正面から向い合っている小林薫の猪ノ瀬さんはひょっとしたら伊丹映画史上最も性質の悪い共犯者なのではなかったか。その後の伊丹作品に出演していない点からも小林薫の猪ノ瀬さんは今だ凶弾に脅えている。無論小林薫本人ではなく脅えているのはあの頃の猪ノ瀬さんである。
猪ノ瀬さんが今も脅えている以上話は終ってないのではないかと。猪ノ瀬さんを矢面に引きずり出して謝罪会見を。んなこと誰にできるものかとやり場の無い怒りっちゅか青春のエゴイズム手前勝手に再燃して次は『ミンボーの女』でも観たろか。話、終ってないのよ実際。