男は顔、いや前頭部である

8月26日、一角座にて『愛欲の罠』を観る。一角座は2005年、上野公園東京国立博物館敷地内にオープンした「スクリーンとサウンドを最優先した」映画館である。館主であり映画プロデューサーでもあり監督でもある荒戸源次郎が34年前に大和屋竺に製作を持ちかけ大和屋竺監督、荒戸源次郎主演作品として世に送り出されたのが本作『愛欲の罠』だ。
製作陣の間では『朝日のようにさわやかに』というタイトルで通っているエピソードから想像される通り当初は純ロマンポルノとして全国公開する予定で撮られた本作は結果的に「興奮する人がまずいない」ということで極めてカルト的な立ち位置に押しやられたようだ。が、本作に関わった当時の同志たちにとっては思い出深い作品らしく前回観に行った際開かれていたトークライブの客席には秋山ミチヲをはじめ役者陣が何人も集結していた。それほど今改めて観るとしみじみ感動的な良い作品なのかというとそうとも言いにくいような。わかりやすく言えば『美少女仮面ポワトリン』の初期のような。
余計わかりにくいことを言ったかもしれないが要するにナンセンス・アクション劇。それは本当に事件なのか、利害関係どっかにあるんかといった社会の底辺にうごめく虫ケラ人種の血で血を洗う闘争。その訳にあんまし痛そうじゃない闘争を描いた73分。主人公、星を演ずるのは若き荒戸源次郎、フリーの殺し屋である星を拾った<組織>の大物役に大和屋竺が達者な演技を見せる。が、この自作自演劇の裏には当時出演予定だった俳優が「あるトラブルで」辞退してしまったいきさつがと前述のトークライブで館主自らが語っていたが。
当時何か事件を起こしたアクション俳優で大和屋竺が目をつけそうな役者って誰だろうか。結局「おまえはタダだから」と主演を振られたニューフェイス荒戸源次郎の起用価値はどこにあったのか。それはラストシーンだ。全体それは事件なのかといったナンセンス・アクションの果ての果て。山谷初男演ずる<組織>のボスを追いつめ射殺した後にくるりとカメラに向き直る荒戸源次郎に一瞬観客は何ぞと思う。そのままカメラ目線で深々と頭を下げる荒戸源次郎の胸元に「完」と。椅子からズリ落ちる観客と。
 このナンセンス・アクション時空が成立するのが唯一荒戸源次郎の素人丸出しのがむしゃら演技なのだ。その余りのたたみかけの凄味に今後はすべてのツメの甘いアクション映画のエンディングには何の伏線もなく荒戸源次郎がライフル片手に乱入しペコリと頭を下げるべきではないかと床を這うが。