日本映画名作劇場を偲ぶのである

 同年代である家主のエイチから今年初めに届いた近況報告には「いよいよ二度目のハタチです云々」といった一文があった。二度目のハタチという言い草は近頃割合ポビュラーなのかしら。杉田二郎も三度目のハタチらしいし。私なぞが二度目のハタチを通過して感じる所はやはり一度目のハタチとの差異というのか。
 先だってNHK―FMの、つのだ☆ひろのDJを何故か九段下辺りを散歩しながら聴きたくなりラジオ片手に出かけた。が、その日は北の丸公園宮沢喜一氏の葬儀があるとかで清水門のとばくち辺りまでしか出入りできなかった。それもいいかとベンチに越を下ろして昭和歌謡特集なぞに耳をかたむけたり。しばらくするうちにこの場所へは以前春に花見に来たなと思い出す。それも今から20年近く前に丁度ハタチを過ぎた頃に。近くの日刊工業新聞社でアルバイトをしていた頃に同僚らと連れだって桜を見に来たような。
 その頃一緒に新聞社の小間使いをしていた同年代の人々の何人かとは最近でもこの近くですれ違ったりもする。そういう人たちとこの街で逢ったなら肩をたたいて微笑み合うかったらそんなことは全然ない訳で。大概お互いそんな御対面劇は今ええわ風にそそくさとすれ違う。すれ違うがまるで他人のふりですれ違うのが後ろめたいのか一瞬互いに視線を交えてウッスとかチュッスとか口元をもごもごさせてそそくさとすれ違う。どうしてそんな中途半端な気の使い方をしてしまうのだろうお互いにということをツラツラ考えてみたのだが。
 結論としてひと昔もふた昔も経過してふとすれ違った相方とも相変らずのデクの坊とも思えるが内実はまったく知らないといった事情からではないか。相変らずのデクの坊かと思えば今や一角の偉人ということも無くは無いのかも知れない。いかにも一角の偉人だが偉人であればどうかといえば偉人な貴方と改めて交遊を深めたいと。さもしい男よと呼ばれてもその程度の男ですわといった居直りがすれ違いざま一瞬のウッス、チュッスには表出してしまっているような。
 しかし20年前に同じデクの坊だったそれら同年代はさて置くとも20年前に直属の上司だった係長クラスのバイトの親玉なぞはもう幹部クラスに出世しているかも知れない。かも知れないのにその線は洗う気にまったくならない。なぜ洗う気にならないかをツラツラ考えてみたのだが。結論として20年前の気のいいオジサン達が今も気のいいオジイサンであるかは訪ねてみなければわからないことで訪ねてホッと安心するなどとは希望的観測の内に入るからである。デクの坊のあの頃の私の周囲にいた気のいいオジサン達が今はどうしているのやらと思えるのは二度目のハタチの今現在だけかとも。
 『ミスターサマータイム 夏物語』を聴きながら御堀の真緑の水面に競輪選手の太股くらいもある鯉がぷくりぷくり浮いているのを只見ていると。うっかり訪ねてそれはお気の毒などと誰の目にもとって付けたよなインスタントな哀悼とりつくろうきっかけになりかねぬその人達に手招きされている感も。今年って何やら追悼ブームかしら。60年代、70年代にバリバリ凄絶な量の仕事をして時の人であった存在が新世紀初頭に点滅、消滅しているのはどうしようもないことかとも。この人ってあの人の奥さんだったんだなどと腐ったOLのごとき関心しか去り行く昭和の偉人たちに持てぬ私は今だデクの坊そのもの。ザンゲの値打ちもないんである。ゴールデン洋画劇場へと続く。