全体今日は何の日なのかである

9月20日、駒込から上野まで何となしにひた歩く。中華料理「好来」はよく立ち寄る店なり。今日はBセット、タンメンと半チャーハン八百円を。店のテレビでは『おもいっきりテレビ』が。これが日曜の昼下りともなると当然のように『新婚さんいらっしゃい』にチャンネルが合わせられていて独身者のベタな休日を気持ちなぐさめてくれる。新婚生活というものを自身は得ていないが精力的に過ごして後は下り坂に入った人々しか『新婚さんいらっしゃい』に吸い寄せられることはないのではとも。
桂三枝がうぷぷと丸椅子から転げ落ちるほどの痴態を毎夜演じている新婚カップルが日曜の昼下りに互いの両親と外食中に『新婚さんいらっしゃい』を観るはめになったらそれはかなり居心地の悪い空間になるに違いない。桂三枝がうぷぷと転倒するような痴態を思い出してしまうのではなくイメージするだけの独身者とリタイヤ夫婦のためのテレビ版レディースコミック、それが『新婚さんいらっしゃい』なのですよと誰にともなく力説したつもりでタンメンをすする。
ところでみのもんたの様態はもはや「時間の問題」といった感がするのだが。欽ちゃんの24時間マラソンが老人虐待と非難される中で今も走り続けるみのもんたという存在はどうなのだろう。みのもんたが「時間の問題」であっても周囲がとやかく言うことではないと。止めたって聞く耳持たぬ男でありそれは好きでやってるのであり私利私欲のみがモチベーションのエゴイストですからねといったところか知らん。しかし欽ちゃんだって何をあのように死に物狂いであったのかといえばかっての24時間ランナーたちのように来年は日テレのバラエティ番組に出まくってもう一花咲かせるわよと思っていたからに違いないのだが。
そんな欽ちゃんは私利私欲のみがモチベーションのエゴイストとは呼ばれないのか知らん。瀕死のみのもんたと瀕死の欽ちゃんを前にコップ一杯の水しか持たぬ私が立っていたとする。私もやはりというか欽ちゃんの方にコップ一杯の水を差し出してしまう気がする。そればかりかその様子を見守る周囲のガヤに欽ちゃんでしょうと同意を求めさえしてしまう気がする。欽ちゃんを延命させねばと思う気持ちのコアには何ぞあるのかとも疑問視しながらも。みのもんたに限らず「時間の問題」に向き合い続ける人々の生活は今もある。曜日の感覚なくなっちゃってなぞは靴のヒモがほどけてる程度のシグナルと互いに聞き流しているが。仕事うっちゃって樹海でにわかヒッピー化は来週に迫ったつもりで今はうぷぷ。