そのオブラートの方がヤバイんである

9月23日、上野、一角座にて『河内紀 音と映像の仕事―耳をすます、眼をこらすー』を観る。本特集の前半、中盤では河内紀鈴木清順の組で残した『ツィゴイネルワイゼン』、『陽炎座』を上映してきた。が、後半は河内紀が演出を手がけたTVドキュメンタリー『人間劇場』をスクリーン上映するというものでこれが一番貴重かもと。
 45分番組の二本立でひとつは『のんきに暮らして82年―たぐちさんの一日―』。もうひとつは『八ヶ岳山麓 地下足袋をはいた詩人』である。上映前に河内紀秋山道男南伸坊によるトークライブがあった。『たぐちさんの一日』の主演、田口親なる人物は文京区、西片に住まう82歳の老人。ビルに囲まれた都会のド真ん中に明治の面影丸残しの純日本建築の古屋敷に一人暮らしをしながら日々古本屋めぐりと演歌、のんき節の研究を続けるモダーンな老人にスポットを当てたもの。
 雑誌でいうなら『散歩の達人』や『クゥーネル』に取り上げられそうなチープかつゴージャスなのほほん生活を送るたぐちさんに好感を持たぬ者はいないだろう。本作を観た限りでは。が、おまけのトークライブの中で秋山道男が「ちょっとネタばらしをすれば」田口親さんのお父さんというのは明治史を変えた事件に何度もその名が登場する人物らしい。今となってはクラッシーないい感じのボロ屋敷も当時は立派な邸宅なんだけどねといったことが言いたいのかとも。いやそんなことが言いたいわけもないだろう。世が世なら相当ヤバイ人物のその後のその後ののほほん生活にスポットを当ててみたのだけれど今のたぐちさんにここで会ったがほぼ百年目と誰が思うのかとも。そっちの方がスゲェーとも。
 そしてもう一本の『地下足袋をはいた詩人』は八ヶ岳で農業を営む七十代の詩人、伊藤哲郎を追いかけたもの。二十代初めに詩人として出発し三十代半ばで筆を折り農業に専念したが四十年近くもの空白の後に再び詩に向き合い始めた伊藤氏。「どうして途中で止めちゃったかは結局教えてもらえなかったけど」とはトークライブでの河内紀南伸坊とのやりとりの中で。「五感が使い果たされちゃうんじゃないの農業で」とは秋山道男の弁。自分で作ったとれたての胡瓜を生味噌につけてボリボリとやる伊藤氏の姿は確かに印象的で「もう書かなくてもいいかと思う」かもしれないと感じさせたが。
 自分が表舞台に立って何かをやる例えばこんなトークライブなんて大の苦手だよと語っていた河内紀の演出術にもその性格は表れているような。たぐちさんにも伊藤氏にも画面には表出しない言いたくないこと、言えるはずもないことが胸の奥に在るのはひしひしと伝わってくる。それを受けとめた側の人間がめでたしめでたしでは全然ないと気付いたモヤモヤを後はどうするのか。「今のテレビの効果は音楽に頼り過ぎ」と語る河内紀以外のディレクターならそのモヤモヤに安易な引火は朝飯前であろ。
 加藤治子の伸びやかなナレーションと効果音楽なんてあったか知らんとエンドロールまで気付かせぬ繊細なタッチの河内演出によるのほほんワールドは罪無きよい世界。と、思わされつつもそこに描かれたその世界が全てじゃないだろうという当然といえば当然の事実にふと気付かされるのはその居心地の良さゆえだ。ゆったりと安楽椅子に座らせた状態で誰にでも踏み込めるありきたりの日常をスルーさせた記録を見せつつその実は。人間劇場の終了ってそう考えるとどうなのか。