ワーストセラーも狙い通りである

文春文庫、今月の新刊に渡辺和博『キン・コン・ガンーガンの告知を受けてぼくは初期化された』がついに登場す。今年二月に渡辺和博が死去した頃に家主のエイチと私は阿佐ヶ谷の古本屋をブラブラと歩き回った。ナベゾの『キン・コン・ガン』を探しているのだけど見つからないとエイチはこぼしていたが。
ナベゾが本当に死んじゃったから一度店頭から引っ込めて様子をみているのではと私が言うと「そういうもんかなァ」などとエイチは言ったが。考えてみればエイチだって古本屋を営んでいる身では。単行本の『キン・コン・ガン』が古本屋から姿を消した事情に首をひねりつつ古本街をねり歩くのは不自然なのでは。その辺りの事情はわかっていながら「そういうもんかなァ」などと私の前で小芝居をしているのかもしれないと思った。が、そんなことをして何になるのだろう。
エイチの不気味な言動はともかく『キン・コン・ガン』をナベゾの死の直後に読みたいと思う心理はあまり感じのいいものではないような。「この先、病気とは長いつき合いになりそうだけど」としめくくられる『キン・コン・ガン』がナベゾの生前にはさほど話題にもならず死後注目を集めるのはあまり感じのいいものではないような。しかしナベゾのいなくなった後も私たちが生き続ける現世はあまり感じのいいものではないと思わない日があるのかとも。とも思うがいなくなってしまったナベゾには感じのいいものではない日もまんざらでもない日もやってこないのだ。
「笑えるガン闘病記」である本書はナベゾがひとまず社会復帰したところで完結しているのだが。ひょっとしたらその後の再発、死に至るまでのもっとコアな『キン・コン・ガン』の外伝が実在するのではないか。本書の中でも投用していた薬物の影響で以前につまらないと酷評したはずの映画を病室のテレビで夢中で観て一人面白い面白いと大騒ぎするショッキングな場面はあるが。「笑える闘病記」の第二弾をナベゾが準備していた可能性はなくもないような。ただその内容が何でも新鮮に面白くなってしまうという「ハッピー&アッパー系の粉」の影響で本人以外には何が面白いのかよくわからない表現になってしまっていたのではないか。
もしそうした裏『キン・コン・ガン』が実在するのならそれこそ限定出版してカルト化させて欲しい。三島由紀夫の最期の録音テープよりもナベゾが最期まで面白がった何かが何であるかをどんないびつな形でも知りたい気がするような。多分それはバブル時代に逆行した場所に展開する都市伝説かとも。