大八車による東京探検である

4月27日、ラピュタ阿佐ヶ谷にて「孤高のニッポン・モダニスト 映画監督 中原康」『あした晴れるか』(60年日活)を観る。主演、石原裕次郎。売り出し中のカメラマンである裕次郎にフィルムメーカーから「東京探検」なるテーマの広告写真をシリーズで撮る仕事が舞い込む。会社がお目付け役にコンビを組ませた芦川いづみとのバタバタ振りで引っぱる「和製スクリューボール・コメディの快作」である。が、オープニングでトラックの荷台でスーツに着替える裕次郎の背景の東京の街並みが合成丸出しで当時はこれでもおののいていたと思わないと観れない感も。ギャグの合いの手としてミュート付きのトランペットがホワホワ鳴ったりするような昭和の喜劇のお約束を今の若者はどのくらい飲み込んで観るのかと思ったが。ハワード・ホークスを知らない私にも何かあったなこんなズッコケ喜劇と思わせたが。こういう芝居を今時の若い俳優に強要しても面白いものになるはずがないとは思う。が、今時の若者がこれといったよりどころも持たずに自作自演したドタバタ喜劇や不条理コントのつまらなさ訳のわからなさに何の可能性も感じないのは確か。ともかくここから始まった何かは70年代、80年代の終わりくらいまで影響を残したのだとは思う。芦川いづみが眼鏡を外すと美人になるという設定はその後のドラマで何度も使われた気がする。今にしてみれば文化祭の出し物のようなしょぼい内装のスナックが当時のセレブしか利用できない高級店というのが私世代でも不思議。それなら当時安月給のサラリーマンらはどんな所で飲んでいたのかと。多分80年代の終わりくらいまで新宿駅南口に残っていた風景の中で飲んでいたのかと。作家の島田雅彦が銀座の文壇バーにも新宿ゴールデン街にも飽きたこの頃では王子駅周辺や尾久辺りのボロしぶい安スナックを利用しているらしいが。まだ東京の果てにはギリギリ残っている戦後の風景に慣れ親しみたくなる感覚は私にも少しある。そしてその感覚もやがて劣化していくのだなとも。いずれは商店街の街灯に飾られたビニールの造花などにも強烈なノスタルジーを感じて涙ぐみつつカメラをのぞきこんだりしてしまうかもしれない。そうしたノスタルジーとの上手な付き合い方を考えないといよいよマズイ気がすると私は思う。裕次郎より二十世紀少年の方が世代的にビンビンくるでしょうと問われれば確かにそうだ。が、もうあまりビンビンくるものに近寄りたくない気もするのだ。なにより健康の為にというか。