鴻上尚史にモラハラしたんである

5月4日、北池袋をウロチョロする内に板橋書店なる古書店へ。以前につのだひろの『パパはソウルマン』を400円で入手した結構な古看板の店だが。その時一緒に平積みしてあったRCサクセションの『愛しあってるかい』の方は何となくパスってしまった。値段は同じ400円と手頃だったのだが。
2日前に清志郎のニュースを知りもしかしてあの見切り品の『愛しあってるかい』も店頭から姿を消してしまうかと思ったがまだあった。これはもう買うしかないかと素早く入手したが。本書は81年の春、アルバムでいうと『プリーズ』、『EPLP』を発表した一大ブレイク期にJICC出版局から出たメジャー発のファンジンのような一冊である。ただでさえ目の回る忙しさの中にあるメンバーの素顔をごく身内だけが身内の事情をふまえてレポートした内容であり今読んでも当時の熱気は伝わってこない。何というか自分に関係ない高校の卒業アルバムを読んでいるよう。
が、しかし考えてみると当時のRC人気の本質がそもそも見知らぬ高校の卒業アルバムのようなものだったのではとも。『トランジスタ・ラジオ』を初めて聴いた頃の私はまだ中学生だったが。学校の帰りのホームルームで無理やり合唱させられるペギー葉山の『学生時代』よりは『トランジスタ・ラジオ』の方がどれだけリアルかとも思った。思ったが文化祭でRCのコピーを披露したりする上級生には何かムズがるものがあった。
私には今となっては中学生になる頃の子供がいてもおかしくない年代であるが。もし自分の子供が学校のホームルームでRCサクセションの『トランジスタ・ラジオ』を無理やり合唱させられたとしたら。担任の先生が象さんのエレキをかき鳴らして半分泣いてたよなどと子供から聞かされたとしたら。私ならそんな程度の低い学校にはもう自分の子供は通わせたくないと思う。思うが仕方ないかとも。自分だって80年代初頭にペギー葉山を歌って育っておいて何だとも。いや学校って所はいつの時代もそんな所だろうとは思う。自分の子供が学校のホームルームでRCを歌わされたくらいでピリピリしていてはこれからの時代を生きてはいけないだろうと。
これからの時代は『トランジスタ・ラジオ』が中学の音楽の教科書に載ってしまう可能性すらも。ならば80年代初頭にビートルズの楽曲が教科書に取り入れられたあの頃のように何とも複雑ナリとベビーブーム世代の後追いをすればそれで良いのかと。『君が代パンク』よりペギー葉山の方がリベラルだと親が言うんでとわが子に文化祭ボイコットさせたいが。