そしてあいつは可笑し過ぎる男である

5月25日、ラピュタ阿佐ヶ谷にて中平康特集『あいつと私』(61年日活)を観る。主演、石原裕次郎。60年安保闘争の最中、マイカー通学する者もあればバイトで自活する者もあるブランド校でいずれからも人気を集める上流階級の快男児がやはり裕次郎。その裕次郎に反発したり守られたりするうちに何となく運命を感じてしまうのが芦川いづみ
石原裕次郎の主演作で裕次郎がさわやかに格好よく描かれているのは当然なので全体のテンションを下げないためには相手役、脇役に魅力、実力がないと苦しいが。本作の芦川いづみはキュートで理知的。「夜の女を買った」り実の母親から年増女を欲望のはけぐちに差し向けられた私通を経験した裕次郎が本当に自分の恋人にふさわしいのかを悩み続ける展開は今では時代遅れか。
いや時代遅れというよりかつてはこんな学生生活があったということがあまりピンとこない。こんな時代は本当はどこにもなかったか。この時代に上京し四畳半下宿に男4人の共同生活を始めた当時大学生の阿久悠太陽族がらみの流行小説を読んで文学的価値云々よりもその経済力にショックを受けたという。自分たちが一人畳一枚分のキャンパスライフを始めた一方で同じ学生が毎夜スポーツカーを乗り回して銀座のクラブで豪遊しているという大事実。当時この大事実をありのまま映画化した『あいつと私』が公開されていたらどんな反響があっただろうか。
いや、それに近い描写は本作にもある。夏休みに裕次郎の運転するスポーツカーで学生仲間と軽井沢にドライブするシーン。山道に丸太が倒れて立ち往生する裕次郎たちのスポーツカーを労務者たちがお前ら学生か、女連れで結構だなと取り囲む。幸いにも労務者のリーダー格が道徳心のある人物で間に入ってくれたこと、裕次郎がオモチャのピストルを鳴らして騒ぎを鎮めたことでその場はきり抜けるが。労務者のリーダーもやはり雲助は雲助でオモチャのピストルは本物の『あいつと私』は当時の娯楽作品にはなり得なかっただろうと思う。思うがこのシーンの意識的なご都合主義によるたたみかけは何やら挑発めいたものを感じる。
スポーツ万能の秀才で脚も長く金持ちで気前良くケンカも強く女にも優しい青春のヒーローを会社の方針で撮ることになったことは仕方ないが。そんな大ウソをまことしやかに実にさわやかに格好よく描ききるのはプロとしての技量にかかっていると。ヌーヴェルバーグなんて同人誌みたいなものと言い放った中平康の職人魂は本作の中に息づいているような。そして小沢昭一は可笑し過ぎる男。