たまに行くなら「二十代」である

5月18日、天気がよいので散歩にでもといつもの隅田川コースへ。王子駅から赤羽駅の間を隅田川の方までえぐるようにウロチョロする。途中、50代後半とおぼしき中高年のサイクル野郎と何人もすれ違った。なかには海パン一丁で肌を焼きながら走る強者もいる。本当にパンツ一丁の台所事情のまま風に身をまかせているとしたら立派だとも思った。
05年、ハイドパーク・ミュージック・フェスティバルにて合間にスタップ紹介の場面となりやはり50代後半とおぼしき中高年がステージ上にズラリと並びそもそも我々は自転車仲間でしてとあいさつしていたのを思い出した。自転車で日本一周などといった無茶もまた若者の特権であった世代であるなぁと感ず。しかしそんな無茶は決して長くは続かないとこちらも肝に銘じてあのフェスには参加すべきだったと今頃思う。露店の片隅で何やらハイになって自作曲を叫ぶように歌っていた壮年ヒッピーを目撃した時はやれやれと思った私の方が甘かった。もっとはじけてりゃよかった。06年には一年がかりで完全ヒッピー化して人生最後の祭りに酔うべきだった。ま、海外にはそうした時間の止まったロック・フェスはいくつもあるのだろうけど。
国内のフェスの映像には70年代後半くらいまではいずれも老若男女入り乱れていて村祭りそのものである例が多いが。高田渡の『バーボン・ストリート・ブルース』の中にはツアーに出ると「うちでとれたものです」と段ボール一杯の野菜を差し入れされる場面も出てくる。盆踊りの野外ステージで演奏するハメになってギャラは野菜というエピソードはBOφWY時代の氷室狂介も以前に語っていたはず。こうなるとドサ回りの村芝居のノリである。そのノリの延長線上にはやはり酒と女もあったはずである。映画『旅の重さ』のような世界の土着性ある桃色ツアーは演歌の中だけじゃなくロック界にも近年まであったのではと。『少年メリケンサック』に登場する50がらみの中高年パンクバンドって実際モデルがいるんじゃないだろうかと。
田舎ではじけようと思ったら恥も外聞もないのは誰もが承知のこと。私の郷里にも一応の歓楽街はある。あるがその一昔前のカラオケボックスを改築した「二十代」なるマッサージパーラーは畑のド真ン中にポツンと建っているのだ。ゆえにその場に遊びに行く者も働きに行く者もすぐ横の高速から丸見えである。家族の手前ちょっと散歩、ちょっとウォーキングなどとすましたところでネタは上がっているのである。そのスローライフいいなぁと人生設計改めつつ帰る飛鳥山公園