同情から始まる愛情はR指定である

6月3日、上野オークラにて『性戯の達人 女体壺さぐり』(OP映画)を観る。監督、園子温。『愛のむきだし』の園子温が90年代半ばに残した貴重な低予算ポルノである。山村の工房で夫で師匠の陶芸家テツヤと共に壺作りにはげむ妻ナミエが主人公。半病人の夫役を園子温自ら熱演している。そしてこの夫婦の壺作りのテーマはズバリ愛。壺に愛を込めて作り手自身が愛にまみれてめくるめく愛のさざなみの中で芸術を育むことを半病人の夫から毎夜熱烈指導される新妻。その様子をのぞき見ていた弟子の若い男女も次第にじっとしていられなくなり山村の工房は愛の家族化していく。制作時期からしてどうやらオウム真理教の一連の騒動をパロっているのかとも思った。が、本作は他の映画監督が撮ったそうしたパロディやセミドキュメントより格段オウム真理教ににじり寄っている。この先数十年後に連合赤軍のようにオウム真理教を題材にしたノスタルジックな実録モノが乱造されたとしても本作のナマさにはおよびもつかないだろう。若い弟子の女学生二人組が山道で通りがかりのバックパッカーを山小屋に連行して芸術活動に協力しなさいと身ぐるみはいで酷暑の中粘土まみれでぐちょぐちょになるシーンもまたナマいというか。AVや実演ショーでは決して味わえない種類のそれはささやかなお一人様一個限りの官能がある。出演している若い役者陣もひょっとしたらプロダクションに所属すらしていない有志ばかりなのではと。たまたま友達づてに引っぱり込まれたロケ現場で監督におがみ倒されて気がつけば掘っ建て小屋で全裸で粘土まみれになっている普通の女のコの姿にチンピク。『愛のむきだし』での勃起を恥じるな、それこそが愛だというスローガンに通じるものは既に本作にも息づいている。言ってしまえば70年代のヒッピーの戯言みたいなことを90年代も今現在も繰り返し作品化しているわけだが。愛をもっと愛をとやや引き気味の女優陣に白目をむいてかぶりつく園子温の姿にこの男だけはそのような戯言を繰り返す資格があると思えてきた。滞納中の家賃をしぼり出すために制作中だといわれる新作も楽しみ。この日、上野オークラには園子温ファンとおぼしき女学生のグループがおどおどしつつ観に来ていた。私は実に二十年振りに変質者に密着されて三本立ての一本を見逃した。まだまだいけるかなどと変な自信をつけて蔵前神社までひた歩く。夕刻六時のレインボータウンFM木曜日は山東ルシア。舞台見に来てくださいねと。まったく人をガス人間第一号のようにもう。