君は天然色で並びに蛍光色である

8月になってからも相変わらず私の大崎悠里熱は上がる一方で何となく避けていた渋谷道頓堀劇場にも初参したり。客席には五十代前後の田舎からやってきた風の夫婦が何組か。舞台役者の真似事をした経験から言ってそれらは出演者の身内である。つまり田舎の両親が仲良く観に来れるほどグレードの高いメジャーな小屋なのである。その日の小屋の表看板には大崎悠里、渋谷ラストとあった。そのことを私は大崎悠里は今後はメジャーな渋谷には出演しないということかと思っていた。その日は圧巻の舞台であった。何はモスラみたいだったけど訳のわからない感動がと涙ぐむ男性客もいた。私がロビーに出ると大崎悠里の親衛隊とおぼしき四十がらみの男性二人組に声をかけられた。今さっき彼女にスケジュールを聞いていたようですがと切り出された時に私は少しブルった。昔のアイドルのイベントでファンクラブに入ってないくせに勝手な間でコールする者に一発見舞う場面を連想したのだ。が、彼等は親切にも大崎悠里の今後のスケジュールを教えてくれた。そして渡されたメモ書きの最後には10月31日、引退式とあった。つまり渋谷ラストは渋谷はこれで最後、このあと関西をまわってそこも最後、10月に上野と新宿で演るのが最後の最後である、と。彼女ブログもやってるんですよと語りかけられるも今度は別の不安から何も反応できない。彼女のブログか。それは恐らく2代目、一条さゆりの『ストリッパー』みたいな内容なのだろなとも。80年代半ばから90年代半ばの舞台人生を日記形式でつづったエッセイ集。今から二十余年前にはまだ上演中の小屋に警察の手入れがあって客も踊り子も逃げまどうような場面も登場する。これなんか逆にうらやましい気が今となってはする。真裸の踊り子と手に手をとって歓楽街の裏通りをポリ公に追われてみたかったなと。私たち踊り子は公演中楽屋に寝泊まりするというくだりも今はもうそこまで貧困ではないだろう。白黒ショーや本物のレズビアンショーなども今では簡単には観られない。当然本番ショーも。そうしたキワモノがいつを境に消え去ったかというと昭和が平成に移り変わってからである。昭和が平成に移り変わってからである。昭和が平成移り変わるとどうしてキワモノが売れなくなるのか。そもそもが終わりに向けての百鬼夜行であったかとも。田舎から両親を呼べるくらいに洗練された劇場を今の私は半分しか好きになれない。まだ昭和のサーカス団のような悲痛さが見え隠れする小便劇場への偏愛が止まらないというか。彼女をですか?勿論愛してますよ。そのこととは別のその偏愛。