エプロンおばさんに発射準備である

9月7日、郷里で一日中うだうだと食っちゃ寝しつつ幻冬舎文庫版、もたいまさこ著『猿ぐつわがはずれた日』を読む。大崎悠里にエレクトして以来おばさんキャラの女優がどうも気になって。本書はもたいまさこがおばさん女優として一時代を築いた90年代半ばに書き下ろされたもの。「事務所のタコ社長」と小林聡美と若いスタッフらと休日を楽しむ様子や知人から預かった狼犬の子犬を北海道まで空輸するはめになったエピソードなどが絵日記のように繰り広げられる本書を当時からハフハフ喜んで読んでいた男性ファンというものを想像してみる。いや、いたはずである。おばさん女優、もたいまさこがその絶頂期に換金していたものはかとうれいこ千堂あきほが同様に売って売りまくっていたものと何ら変らなかったはずである。セクシータレント全盛のあの頃もたいまさこはおばさん女優の頂点としておばさんの性を隠れたミリオンセラーにしていたのかと。『猿ぐつわがはずれた日』というタイトルも始めは芸能界の片隅で健気に生き暮らす自身への皮肉のように感じられたが。どうも違うのではないか。猿ぐつわとは団鬼六描くところの昭和の毒婦のあのイメージではないか。当時のもたいまさこにそのようなイメージを重ねて愛でていた町の有力者的な狸ジジイが存在したとは思いにくい。そうは思いにくい狸ジジイばかりがおばさんの性的魅力に気づいていたわけではないだろうと。まだまだバブル期のカーテンコールにあったあの頃の二代目社長や道楽息子の中にはもたいまさこに過剰反応していた者もいたはずである。それらは言ってしまえば金持ちのぼんぼんの下女への恋である。自分のようなぼんぼんには想像もつかないタフで非情な世界で生き暮らしてきた中年女にお人形さん的な既製品の性とは比べものにならない生身の女を感じてしまう豊かな時代ゆえの縮図。あの頃もたいまさこを陰に日向に支援していたはずのそうしたぼんぼんたちは今どうしているのだろうかとも。当時は想像もつかないタフで非情な世界に気がつけば自分が放り込まれたり番号で呼ばれたりしてないだろうか。「事務所のタコ社長」って最近亡くなった人力舎の名物社長かなと思ったがもたいまさこ人力舎じゃなかったか。が、解説を寄せるナンシー関をはじめ本書の中に登場する仕事仲間の面々には故人も少なくない。90年代は遠くになりけりである。時代もよかったし仲間もよかったと思いを馳せる万博世代にとってとってもたいまさこの今は不幸が足りないのではとも。あんたらそういう性分ざんしょ?とも。