至極、中途半端はつらいものである

9月10日、ラピュタ阿佐ヶ谷にて『(本)噂のストリッパー』(82年にっかつ)を観る。監督、森田芳光。ストリップを題材にした映画の特集を8月から組んでいるラピュタですでに何作か観てきたが私個人の本命はこの一本だった。宮脇康之演じるアルバイト学生が岡本かおり演じるストリッパーに恋こがれる青春ドラマ。であるはずの本作を私は未見であったが当時のプロモーションや資料から大体どんな内容かは知ってるつもりでいたのだが。実際観てみるとこれが違った。どう違ったかというと宮脇康之のラブコールに岡本かおりは最初から最後までピクリとも反応しないのだった。恋文も花束もあっさり小屋の従業員に放り捨てられるイントロダクションはまだ私も期待していた。初めは鼻にもかけられなかった宮脇をひょんなきっかけから好きになった岡本がやがて手を差しのべるのだろうなと。だけれどもまたちょっとした行き違いから別れてしまった後で行きがかり上小屋の舞台で本番ショーをしなくてはならなくなると。そこに甘くせつないBGMとエンドロールが巻き上がって思わず感涙してしまうそんな映画なんだろうなと。ところが本作はそんな映画ではなかった。宮脇康之が岡本かおりにラブコールし続ける展開は予想通りだったが。その宮脇にもバイト先で知りあった太田あや子演じるセフレがいたり。岡本かおりも公演中に小屋の照明係と風呂場でほんの息抜きに関係したりとメロドラマにしてはユルイというか。クライマックスでは確かに本番ショーの舞台に宮脇は上がる。久しぶりだね、手紙読んでくれたかい、愛してるよとか何とか言いつつもそそくさと絡み合いそそくさと果ててズボンをはく。岡本かおりは終始一言も宮脇に語りかけない。ストリッパーと純朴青年のメロドラマって70年代にはけっこうあったような。その反動で岡本かおりに甘い顔はさせない演出で通したのだろか。通りすがりの踊り子に付け文したり勝手な未来像を夢見たり他人事じゃない宮脇のはっちゃき振りが空しく砕け散った本作を見届けて私は思った。自分はもはや完全に乗り遅れの置いてけ坊主なのだなと。80年代からずっと現役でもはや五十代も半ばの安達祐美のお母さんのような踊り子に大人しいのね、ハグしようハグとハグられた今年の五月。このことは何か決定的なシグナルになるような気が少しはした。やはりそうかと。私なぞはもはやダスティン・ホフマンにも宮脇康之にもなれないと。今度安達祐美のお母さんになぐさめられる機会があったらそれが人生最期の本番かと。肝に銘じろ。