只もうそれどころじゃない大事件が

9月23日、宮沢章夫著『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集』を読む。01年9月の西新宿にて中古レコード店を営む中年男とその仕事仲間たち。自らに酒乱の気があることが不安な中年店主がある日血まみれで帰宅。その日歌舞伎町で風俗店への放火事件がありニュース報道と自身の記憶をたぐるうちに「おれ、やったのかな、やっぱり」という思いを断ち切れなくなる店主。何か事情を知ってるような女につきまとわれたり店を休んで引きこもったりするうちに米国では同時テロが発生して歌舞伎町の放火事件は話題の上では急速にミクロ化していく。おれがその日何をやったのかは結末までわからない。只もうそれどころじゃない大事件が突然発生したところで小説は終る。本作『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット大三集』の片面にあたる「返却」の方が私世代には興味深いような。西村賢太の小説にも度々登場する80年代後半の好景気なれど建物はまだまだ貧乏臭い東京ローカルの街並みが主人公のしがない文筆業の男の記憶の中で点滅する。男はある日今日こそは31年間借りっぱなしの図書館の蔵書を誠意を持って必ず返す、ちゃんと返すことに決めた。リチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』と『日本ヌーベルバーグ』を今日こそあの図書館に返却するという決意と行動。半分は若気のいたりで当時も今も何が書いてあるのかまるでわからないという感想と半分はこの本に出会ってなければ今の俺はないなとしみじみ頭の下がるような感想。いずれも自覚した上で謹んでお返ししたいというのはまったく正直な気持ちだろう。もっと正直なのは男の修行時代のライター仲間が学生運動内ゲバで片足を引きずっていて実は自分も運動が怖くなり逃げ出した事情を打ち明けそうになるくだり。80年代半ばの小劇場界で演劇活動を拡大させていた宮沢にとっても運動に関わるのは避けられない課題だったのかと。私は宮沢章夫に似てなくもない枝野経済産業相のことを何となく思った。仙谷枝野ラインとはそもそも学生運動の先輩後輩関係から始まったことをわりと最近になって私は知った。80年代的なカッコよさの再検証をめげずに続ける宮沢章夫の芸風というか作風からして「返却」の中でもっともヒリヒリした運動の描写は今後もエスカレートするのでは。運動をネタにしたコントやギャグなら80年代にもつか劇周辺、いしいひさいちなどいくつかあった。が、そうしたものよりもっとトゥーマッチなもっと情けない新事実を宮沢だけが誠意を持って謹んであぶり出してしまいそうな予感が。