甘いマスクのうえ歌もギターも充分

12月29日、斉藤和義の『やさしくなりたい』を聴く。ラジオから流れる曲にいけるじゃんコレと指を鳴らしCDショップに駆け込むということを十何年ぶりかに。この前駆け込んだのは椎名林檎の『本能』。国民的大ヒットドラマの主題歌としては田舎暮らしの早寝から出会いそこなった本作だが。もしラジオのオンエアともすれ違っていたとしても店頭でジャケ買いしていたかもしれない。一応世間向きにはビートルズの来日公演のパロディと思わせている問題のジャケ写だが。斉藤和義がパロっているのはお気づきの方もおられると思うが若き日の野口五郎である。奥田民生といい斉藤和義といい昭和40年前後生れのミュージシャンはついつい五郎ちゃんをおちょくりにかかる傾向がある。ちゃん付けされやすい同じおっとりキャラの野村義男までもが五郎さんすぐ目をつぶって弾くんですよなどと失笑していたこともあるほど。我々世代にとって五郎ちゃんはそんなにからかい甲斐のある人物なのか。甘いマスクのうえ歌もギターも充分上手い。あのうろたえジェスチャーだってABブラザーズのものまねネタになるまでは魅せるなぁと私は受けとめていた。少年時代はあこがれていたが大人になって振り返ると何だかおかしい人間像というのはあるだろう。ましてや今は同業者みたいな立場になって改めて振り返るとダメだ笑っちゃうというということは充分ありえる。それは『真夏の夜の夢』のギターソロ部分で唇をO字型に開きカメラ目線で片目をつぶっている五郎ちゃんの姿だったり。あれだって当時はやるじゃないと畳を叩いて熱狂していたはずだが。中島らものエッセイにバンドマン時代練習中にワウペダルを踏みながら口を鯉のようにパクパクさせていた友人の阿呆面が忘れられんという名分があった。五郎ちゃんのおかしみとは後にローリー寺西などがネタにした70年代のシンコーミュージック寄りのロックに含まれたおかしみを本人はマジでやっていたことにある。以前、家主のエイチは私に語った。ミスターや若大将みたいに本人は何を笑われてるのか気づかない人を笑うのはよくないと。そのエイチも五郎ちゃんだけは私と一緒になって笑っていた。ものまね四天王時代にモト冬樹が平尾昌晃のネタを初披露したあの瞬間、五郎ちゃんは審査員席にくずれ落ちて笑っていた。あれは平尾先生の前では何十年も我慢してきた笑いだったのだろう。そして今現在において五郎ちゃんを最後に笑った男である斉藤和義に対して五郎ちゃんはどう思っているのか。大ヒットおめでとうと眼差しだけ余裕で。