ひたすらハタ迷惑に展開して行くが

1月2日、『時代のキーワード 寺山修司の状況論集』(思潮社)を読む。寺山本の中では後期に出版されたもので初版は85年5月4日。もうその頃には健康状態も最悪だったのではないかと思うが。入院中の著名人の連載エッセイが亡くなる直前まで休まず同じテンションで続いていたことは現在では珍しくない。側近による代筆なのではあろうがそれでもまずまず読ませるものを書く技術というのもライタースクールなどでは教科に入っているのかと。
本書が出版された85年にも著者の元にはゴースト特A級の腕利きライターがついていたのかどうか。「口裂け女政治学」の頃では一人のしがないサラリーマンが酒場の帰りに遭遇した白いマスクをした女に「あたし、きれい?」と問われあたりさわりなく「あぁ、きれいだよ」と答えるとこれでもきれいとマスクの下には真っ赤に裂けた唇がという当時の都市伝説が紹介される。サラリーマンは思わず助けてくれと我が家へ逃げ帰る。何しろ福は内、鬼は外であるというくだりは60年代の寺山エッセイに度々登場するマイホーム主義への疑問符かと。彼女は通行人が『燃えろいい女』を6回歌うと、どこからともなく現れてくる。というエピソードには都会っ子の間ではそうだったかもしれないなと。
そんな小ネタを病身の寺山自らが当時の昼なお薄暗いゲームセンターを歩き回り小中学生らから拾い集めていたとは思えない。リサーチに走り回ったのは恐らく劇団の若い者たちでプレゼンしたのは制作部の中堅だろう。彼女の存在は、個人の内面がつくり出した虚構でありながら、日常的な現実原則の外にしりぞけられることがないのである。彼女たちは、少女やサラリーマンに問いかけることからはじまり、やがて団地アパートのドアをノックし、ついには政治的中枢にまでおよぶことだろう。と、「口裂け女政治学」はひたすらハタ迷惑に展開していくが。
口裂け女に恐怖しつつピンポンダッシュという街頭ハプニングに興じる中学生だった私は寺山修司をまだよく知らなかった。寺山本を読みあさり始めたのは90年代の終わり。ビデオ屋の深夜バイトで一緒だった持田薫似の二十歳の女の娘が万有引力に出入りしていると知りあわてて兄貴面しようと猛勉強を開始、寺山ゆかりの地をデートの下見もかねて歩き回ると体もひきしまっていった。牧村さんお休みいつですかと薫似がいたずらっぽい目で問いかけたとき。なぜか私のリビドーは急速冷下した。「彼女と私の事情」にどんな変化が。告白するなら星形乳首だけが今も私のナンバーワンかと。